フタを開けてみると、公開直後から大ヒットを博す。白雪姫の継母が魔女に変身するシーンや、白雪姫の心臓を奪うために狩人がナイフを突き刺そうとするシーン、白雪姫が森に迷い込むシーンなどでは、恐怖のあまり映画館でお漏らしをしてしまう子どもが続出した。英国では16歳以下は保護者同伴が義務づけられたほどである。それほどまで映像にリアリティとインパクトがあったというわけだ。

 当時の映画史上最高の興行収入記録を打ち立て、アカデミー特別賞を受賞。2000種類を超える白雪姫グッズが販売され、関連の書籍やセル画も売れに売れた。230万ドルの借金は公開から5ヵ月で完済した。

常に新しいことに取り組む
創業者のDNA

 現在のディズニーの本社ビルは、白雪姫に登場する7人のこびとが屋根を支えるデザインになっている。白雪姫の大成功があってこそ、今の繁栄があるということを表しているのだ。

 その後につくられた「ピノキオ」「バンビ」などの長編作品では、「マルチプレーンカメラ」という機材が使われた。複数のセル画をそれぞれ異なった距離に配置して、立体的な奥行きを表現するというもので、深みが感じられる映像は、当時としては画期的だった。

 また、フィラデルフィア管弦楽団によるクラシック音楽とアニメを融合させた「ファンタジア」(40年)では、「音楽を視覚化する」というコンセプトで開発したステレオサウンドシステムを初採用している。

 映画からテレビ製作の分野に進んだのも最初だった。54年にはABCで「ディズニーランド」というシリーズ番組を開始。ウォルト自ら、開業予定のディズニーランドの魅力を解説した。また61年、フルカラーのテレビ番組を初めて放映したのも彼である。

 55年に開業したそのディズニーランドも、まさに「誰もしたことがないことをやる」というウォルトの精神の賜物だろう。単なる遊園地ではなく、2次元の映画の世界を、3次元の世界に実現しようという、いまだかつてないものへの挑戦だった。