しかし、メジャーリーガーのイチロー選手やテニスプレイヤーの錦織圭選手も、実は渡米してから英語をマスターしたそうだ。要するに本当に必要に迫られれば、だれでも最低限必要な英会話ぐらいできるようになるという証明である。

 かつての日本人は、英語の授業で文学や評論に親しみ、文化的な香りを楽しみながら英語を学んでいた。決して流暢ではないが、その勉強法によって知性も教養も磨かれていたのである。

 最近の英語の授業といえば、会話中心でリスニングの訓練は多いが、文学や評論に親しむ機会は減ってしまっている。しかし、文学や評論にふれずに日常会話ばかりを練習するのは、「英語で流暢におしゃべりするけれど野球が下手なイチロー」や「英語の発音やアクセントはネイティブ並みだけどテニスの下手な錦織選手」をめざすようなものだ。

 英語だけ堪能になっても世界で活躍することはまず無理だろう。彼らが活躍しているのは、幼少期に英会話ではなく、スポーツの地道な練習に打ち込んできたからこそである。

 英会話はただの“伝達手段”。「話せること」よりも「話す中身」を充実させることを優先した方が、将来きちんと自分で考えて道を切り開ける子に育つだろう。

これからのAI時代を生き残るなら、
英語力よりも“人間力”

 現在、自動・音声翻訳技術はかなり進んでおり、日常会話や旅行会話程度ならすでにTOEIC900点レベルに達しているという。この先、日本語でしゃべれば自動的に英語になる未来が待っているのなら、小さい頃から英会話を勉強する必要は本当にあるのだろうか?