想像力の欠如が極端から極端への振れを生む
歴史の証明を待つまでもなく、社会的に不安定な時代には極端な方向に人が一斉に流れてしまう傾向があります。ある大学の先生は、その傾向について「想像力の欠如だ」と主張しています。
この先生とは、これからの高齢者対策について考える会合でご一緒しています。しかし高齢者対策は、現在のような厳しい社会状況ではすこぶる評判が悪く、風当たりの強いものになっています。
「こんなに若者がたいへんな状況なのに、これまでさんざん良い思いをしてきた高齢者に対してまだ手厚く保護するのか!」
これが批判される人たちの最大公約数の意見だと思います。しかし、この先生は会議の席で繰り返しこう述べています。
「今批判している人も、いつかは高齢者になる。その人たちが高齢者になったときに見捨てられたら、どのように感じるのだろうか。少し想像すれば、自分だって高齢者になることぐらいわかるもの。そのときに安心して生活できる仕組みを作っておくことは、人のためというだけでなく、自分のためにも良いことなのではないか。しかし、現代人は余裕を持てないので、そこまで想像することができなくなっている。だからこうした批判を浴びるのではないか」
前回お話しした「マニュアルをほしがる」「極端な方法論に飛びつく」のも、想像することができなくなったのが大きな要因ではないかと思います。
人それぞれの違い。自分には何が合っていて何が合っていないのか。こうしたことを想像する力が失われてしまった、あるいは放棄してしまったために、自分なりのほど良いブレンドができなくなってしまったのではないでしょうか。