真実を求めるのではなく
明快さを求めるのか
そうだとすれば、皮肉なことだと言わざるを得ません。
専門家は専門的になればなるほど曖昧で歯切れが悪くなる。一方で、一般の人は専門家になればなるほど明快な答えを出してくれるものだと期待している。両者の間には埋めがたい認識のずれが生じていて、その信頼関係は修復できないところまで来ているようにも見えます。
真実を知りたい。この気持ちは誰もが抱くものです。
しかし、最も真実を探求する立場にあるはずの専門家に聞けば聞くほど、真実から遠ざかって行くように思えてしまうのでしょう。
そこで専門家に頼ってみても、因果関係がはっきりしない状態を長い間耐えられなくなり、結局、真実か否かはともかく、断言的に話してくれる存在を信用するように傾いていきます。
そうなると、真実を知りたいという根源的なことからは遠く離れてしまいます。
それに気づいているのか、あるいは自分の頭では考えるのをやめてしまうのか。真実を求めていたのが、自分が安心したり興奮したりできる明快な世界へと方向転換してしまうようです。
これが占いやジンクスの類であれば罪はありません。
しかしながら、社会生活を送るうえで大事な判断をしなければならないときの軸にしてしまうのであれば、大きな問題となってしまうと思うのです。