接待とは決して、「取引先のキーパーソンにおいしいものを食べさせて、おいしいお酒を飲ませて」おけばいいというものではありません。接待の場は、自分も相手も、ともに仕事を離れてつくる「プライベートな空間」。特に、世界のトップ層を接待するときには、その場で「目先の欲望」を満たすのではなく、相手の「知的好奇心」を満たすことができなければ、相手との距離を縮め、信頼関係を築くことはできません。
だから私も、たとえばワインが大好きな外国のお客様であれば、由緒のある日本のワインを勧めます。相手は舌が肥えているでしょうから、「日本のワインもおいしいな」とわかってくれるでしょう。そこから日本料理の話、日本文化の話へと話題が広がり、いつの間にかお互いの関係が深まっていく。おいしいワインはあくまで関係づくりのきっかけで、その後のコミュニケーションが接待の本質なのです。
あるいは、もともと日本文化への興味が深い外国のお客様は、歴史のある料理屋さんにお連れします。刀や絵画など、さながら博物館のように展示物が置いてあるお店は、外国のお客様に大変喜ばれます。ここでも、日本文化という題材をもとに、どのようなコミュニケーションをとるかが接待の成否を決めるわけです。
接待に必要なのは「思いやり」と「教養」である
重要なのは、次の2点です。
まず第一に、相手のことを思いやる気持ちです。「相手は何が好きなのだろう?」「相手はどんなことに興味があるのだろう?」などと、相手を思いやる。そして、その気持ちを満たしてあげるために工夫をする。そのこちら側の気持ちに、相手も感じるものが生じたときに、良好な関係を築く基盤が築かれるわけです。
第二に教養です。いくらおいしいワインを出しても、いくら高い料亭にお招きしても、「教養」がなければ相手が望むようなコミュニケーションをすることができません。ただし、教養とは単なる「物知り」とは異なります。教養とは単なる知識ではなく、知識に裏付けされた「その人なりの説得力のある見解」のようなものです。それを、コミュニケーションを通して交換し合うことで、「なるほど、この人物はこういうモノの考え方をするのか」と相互理解を深めることによって、信頼関係が生み出されていくのです。
つまり、この二つをもとに、相手と「特別な空間」をつくり出すことこそが接待であって、その舞台設定のために必要な投資が接待費だということです。先ほどの由緒のあるワインにしても、歴史のある料理屋さんにしても、一般の飲食費よりははるかに高くつきますが、「特別な空間」をしつらえるために合理的な金額であれば、それでいっこうにかまわないのです。
むしろ、「由緒のある3万円のワイン」「歴史のある料理屋さんの5万円の会食」をケチって、「どこにでも売っている1万5000円のワイン」「どこにでもあるホテルの2万5000円の会食」で済まそうとすることこそがムダな投資。それでは「特別な空間」は生まれませんから、接待交際費は「死んだ金」に化してしまうのです。
逆に言えば、「由緒のあるワイン」が1万円だったのならば、それはそれで構わないということ。「舌の肥えたお客様に1万円のワインでは失礼かな。せめて3万円するワインを探そう」などと考える必要はありません。それもまた、接待の本質をはき違えているのです。