今後は「会計」もできるクリエイターが生き残る。

竹熊 まさにFLASHアニメが大転換のきっかけですね。

FROGMAN そうでした。ライバルがいないのも大きかったですね。リクルートが島根にいた僕に依頼をしてくれるわけですから。

竹熊 なるほど。

FROGMAN あと、これは竹熊さんのツイートをみて思ったんですが確かに実写業界でも40歳を過ぎると監督が年下になってくると、扱いづらくなってくる。その上にフィルムからデジタルへ、という技術の変化という波があるから異業種の人もどんどん参入してきている。だから、実写業界に昔からいる人は本当に大変みたいですね。

21世紀に生き残る「フリーランス」の条件――FROGMANの場合。【後編】竹熊健太郎(たけくま・けんたろう)
1960年、東京生まれ。編集家・フリーライター。多摩美術大学非常勤講師。高校時代に作ったミニコミ(同人誌)がきっかけで、1980年からフリーランスに。1989年に小学館ビッグコミックスピリッツで相原コージと連載した『サルまん・サルでも描けるまんが教室』が代表作になる。以後、マンガ原作・ライター業を経て、2008年に京都精華大学マンガ学部の専任教授となり、これが生涯唯一の「就職」になるが、2015年に退職。同年、電脳マヴォ合同会社を立ち上げ、代表社員になる。4月に『フリーランス、40歳の壁――自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』を上梓。

竹熊 FROGMANさんはFLASHに転向する時期もよかったんでしょうか。

FROGMAN ニコニコもYouTubeもまだでしたからね。動画が珍しかった。FLASHブームの最後尾だったことも功を奏して、「2ch」でウケるということにも拘っていなかったので。TVも映画も見据えたFLASH職人って当時ほとんどいなかったはずですよ。
 TOHOシネマズの劇場で最初はマナー告知の動画をギャラなしでやらせていただくこともありました。これは今でもやっています。色々な企業さんに我々のキャラクターを使っていただくことでビジネスモデルが成り立っているんです。DVDも売りますけれど、広告が非常に大きな柱ですね。

竹熊 FROGMANさんは今取締役もやられている?

FROGMAN やっていますけどほとんど経営はノータッチです(笑)。僕は脚本も声優もデザインもやる兼業クリエイターですけど、今後新しいクリエイター像を描くとすれば「会計」もできるクリエイターですね。

竹熊 それが出来る人は強いでしょうね。僕は苦手な領域です(笑)。今日はありがとうございました!