では、なぜ、福島原発事故による放射能汚染がもたらす被害やリスクを、「健康的被害」や「健康的リスク」と「心理的被害」や「心理的リスク」に分けて考える必要があるのか。

 それは、今後、除染作業の「目的」が、「健康的リスクの低減」から「心理的リスクの低減」に大きく比重が移っていくからです。そのことを、政治と行政に携わる方々は、深く理解しておく必要があるでしょう。

 なぜなら、除染作業の「目的」を、「健康的リスクの低減」だけであると限定的に考えてしまうと、現在、政府や自治体が取り組んでいる除染作業について、「この程度の低い放射能汚染レベルであれば、健康には大きな影響がないのだから、これほど手間と時間と費用をかけて除染をする必要はないのではないか」という経済合理性を重視した意見が出てくるからです。

 しかし、環境中の放射能によって周辺住民の方々が受ける被害とリスクは、「健康的被害」と「健康的リスク」だけではありません。実は、それ以上に深刻なのが、「心理的被害」と「心理的リスク」なのです。

周辺住民の方々にとっては、
永く続く「トラウマ」となる

――「健康的リスク」が、ある一定レベルよりも低いにもかかわらず、なぜ、「心理的リスク」が、深刻な問題になるのでしょうか?

 なぜなら、人間の心理というものは、「基準値以下だから安心」「基準値を超えたから心配」というように機械的にオン・オフで反応するものではないからです。たとえ基準値以下であっても、目の前に有意に計測できるレベルの放射能が存在するならば、人間は、必ず何らかの不安心理を覚えるのです。

 私自身、かつて医学部で放射線健康管理学を学び、放射線取扱主任者の資格を持ち、自身も放射線や放射能を扱い、放射線や放射能を扱う作業者の方々を数多く見てきましたが、その経験からも、このことは言えます。

 すなわち、原子力産業に携わる作業者の方々は、基本的には、国際放射線防護委員会の基準や放射線障害防止法を遵守した職場において、一人ひとりが個人線量計を着用して被曝線量を明確に把握し、放射線や放射能が厳密に管理された区域で作業をしているのですが、それでも、やはり、放射線や放射能が存在する場での作業は、作業者の方々にかなりの不安や緊張という心理的ストレスをもたらすのです。

 そのことを理解するならば、環境中の放射能による被曝のリスクにさらされる一般公衆の方々の心理的ストレスの大きさは、推して知るべしでしょう。

 なぜなら、福島原発の周辺住民の方々は、事故直後から一人ひとりが個人線量計を着用して被曝線量を正確に計測してきたわけではなく、また、作業者が働く管理区域のように、その場所の放射線量や放射能量が正確に計測され、基準値以下であることが明確に確認され、放射線や放射能が厳密に管理されているわけでもないからです。

 逆に言えば、周辺住民の方々が「安心」を得るための情報は、ただ、政府や自治体が示す当該地域の「モニタリング結果」と「推定被曝線量」だけなのですから、これらの住民の方々の心理的ストレスは、「無用の心配だ」「過剰な懸念だ」「煽られた不安だ」といった言葉で語れるほど簡単なものではないのです。

 いわんや、もし、周辺住民の方々が政府や自治体の発表するモニタリング結果や推定被曝線量の情報に対して、「その情報は正確なのか」「重要な情報を隠しているのではないか」といった疑問や疑念を抱いたならば、その心理的ストレスが極めて大きなものになることは、容易に想像できるでしょう。

 従って、いま、政治や行政の方々が深く理解するべきことは、周辺住民の方々が受ける被害やリスクには、「健康的被害」や「健康的リスク」だけでなく、「心理的被害」や「心理的リスク」があり、この「心理的被害」や「心理的リスク」もまた、周辺住民の方々にとっては、深刻な「現実」であり、これから永い年月にわたって周辺住民の方々を苦しめる「トラウマ」になっていくということなのです。

 繰り返しますが、政治や行政の方々は、間違っても、こうした「心理的被害」を、「無用の心配だ」「過剰な懸念だ」「煽られた不安だ」といった言葉によって軽視してはならないのです。