なぜシリコンバレーの企業は、無邪気なほど存在価値にこだわるのか?

 一方、世界で3億人以上いるとされるツイッターのユーザーは、今の自分自身の身に起こっていること、考えていることを自由に思うままに発言したい、そして世界中の多くの人々の声を知りたいと思っている。

 それはツイッター出現以前には得られなかった価値であり、その価値を手放すことはもはや考えられないほどになっていると言って良い。

 そして、このツイッターならではの提供価値と、ユーザーがツイッターに求めている価値が交わるところが、ツイッターが自ら「Global Town Square」と呼ぶツイッターのバリュー・プロポジション=存在価値であり、ジャック・ドーシーが守るべき価値なのである。

 これを第7回で説明したバリュー・プロポジションの構造で表現すると、以下のようになる。この構造を守ることが、まさにツイッターにとっては自らの存在価値を守ることにつながるのである。

ツイッターは、大事件が起きても<br />なぜ投稿を安易に削除しないのか?<br />ツイッターのバリュー・プロポジション

 トランプ大統領のツイートにしても、座間市の事件についても、「不都合な」ツイートは機械的にでも削除すべきだとの指摘は非常に多いという。そして、この指摘に従う方がまずは目の前の批判から身をかわすことができるという点では得策なのかもしれない。

 しかし、安易な方向に流されずに、自らの存在価値にこだわり、それを守るための広報活動やユーザー保護に注力するという姿勢は、民主主義を実現するインターネット業界の旗手としての誇りと、自らの存在価値にこだわる創業者としてのジャック・ドーシーの矜持と言えよう。

 果たしてこの矜持が、ツイッターの将来に向けて吉と出るか凶と出るか。それは数年後にはわかることかと思うが、この矜持の根底にあるシリコンバレー企業の無邪気なまでの性善説が、これまで世界を変えてきたこともまた事実だ。

(この原稿は書籍『破壊――新旧激突時代を生き抜く生存戦略』から一部を抜粋・加筆して掲載しています)