衰退していく町でも、なぜかスナックだけは生き残っている。スナックは生存戦略における三原則を忠実に実行できているからだ。人はなぜ、スナックに行くのか? そこにこそ、新旧激突時代を生き抜く本質が隠されている。グーグル、ソフトバンク、ツイッター、LINEで「日本侵略」を担ってきた戦略統括者・葉村真樹氏の新刊『破壊――新旧激突時代を生き抜く生存戦略』から、内容の一部を特別公開する。落合陽一氏推薦!
ディスラプションをものともせずに生き残った「スナック」
この連載の最後に改めて話したいのは、一体、私たちはどうすれば「価値創造者」になれるのかということだ。
そして、その答えはやはり、これまで見てきた「【1】人間中心に考える」「【2】存在価値を見定める」「【3】時空を制する」の三原則をどれだけ忠実に実行できるか、ということに尽きる。
私たちが人間である以上、創造すべき価値は「人間中心に考える」ことが前提となる。
そして、その価値は、自分ならではの提供価値であり、かつ世の中から求められるものである必要がある。
すなわち「存在価値」となるのである。そして、その価値の創造は、時間と空間の両方、すなわち「時空を制する」ことで初めて達成することができるのである。
ここで、一つ思い出話をしてみたい。
私はバブル崩壊直後の20代の頃、民間シンクタンクで地域活性化に関する業務に従事していた。
かれこれ四半世紀近く昔のことだ。地方自治体や中央官庁からの委託で、活性化計画を策定した上で、補助金などを得て、再開発事業を行うという類いのものだ。
北は青森から南は鹿児島まで、人口数万人から地方中核都市レベルまで、多くの都市や町に足を運んだものだ。目をつぶると、それぞれの町で出会った人たちや、その人たちのお国言葉、訪れた季節を反映した空気の匂いと感触、すべてが蘇ってくる。
そのときに必ず訪れたのが、町の中心に位置する駅前商店街など、かつて繁華街だった場所だ。シャッターが降りた店ばかりの商店街にも、寒風吹きすさぶ駅前にも、必ずあったのが、「スナック」であった。これは当時の私には不思議でならない現象だった。
どの「スナック」も同じような見た目だった。ピンクや紫などの派手な色にもかかわらず、くすんだ感じの内照式看板と、中をうかがい知ることができない扉、間口は3メートルもあれば良い方であろうか。
それが夜になると、その内照式看板に明かりが灯され、扉の隙間から光が漏れ出す。灰色一色の寂れた町の一角に、文字どおり微かないろどりを与え、仕事を終えた男たちが、まるで誘蛾灯(ゆうがとう)に誘われるように中に吸い込まれていく。
それぞれの町には、それぞれの衰退の理由がある。ある町は炭鉱の閉鎖、あるところはモータリゼーションの進展、そして第三次産業の興隆による大都市への人口流出。
共通するのは、どの町も何かしらの「インフォメーション」「モビリティ」そして「エネルギー」の技術進化によるディスラプションに遭遇した結果であるということだ。しかし「スナック」だけは、そんなディスラプション(破壊)をものともせずに生き残っていたのである。
それはなぜか?