なぜ人は「スナック」に行くのか?
それは、「スナック」が、これまで語ってきた三原則をすべて満たした存在であるからだ。
では、なぜ人は「スナック」に行くのか?
それは、スナックのママやホステスさん、そこで働く人たちが、とにかく話を聞いてくれるからだ。
仮にママやホステスさんが話していたとしても、あくまで主役は客なのである。客にとって、ママやホステスさんは、時には自慢話の相手になってくれる恋人だったり、甘えたい母親だったり、かっこつけて見せたい妻だったり。客の視点でその姿は変貌する。
一方、スナックは飲食店にもかかわらず、飲食に関しては別にこれといった差別性はない。提供しているのは、どこの店にもあるようなお酒で、つまみである。
彼女たちが提供しているのは、話に耳を傾け、癒やしを求める人には癒やしを与え、笑いを求める人には笑いを与え、自尊心をくすぐって欲しい人には自尊心をくすぐってあげることだ。
そんなコミュニケーションの巧みさこそが、彼女たちが得意とし、そして客が求めているもので、それが存在価値そのものなのである。
ほとんどの客にとって、スナックは仕事が終わって、家に帰るまでの数時間を費やすだけの場所に過ぎない。しかし、この時間だけは、他では得られない体験を与えてくれる。そして、店に行けば、見知った常連や、そこに行けばいる、といった仲間たちがいる。
彼らはそこでしか会わない人たちかもしれないが、そのスナックという場が作ってくれたコミュニティなのである。ちょっとお金がなくても、場合によってはツケにしておいてもらえる。それは自分の店での信用の証しでもある。
まさに「スナック」は、「【1】人間中心に考える」「【2】存在価値を見定める」「【3】時空を制する」のすべてを満たしていると思わないだろうか?