失敗から学ぶ

 これまで数々の事例について見てきた。その多くは、過去から現在に至るまでのディスラプター(破壊者)と、ディスラプションの中で生き残ってきた者たちである。

 その多くは名だたる先進企業や世界に冠たる大企業である。アマゾン、アップル、グーグル、フェイスブック、ツイッター、マイクロソフト、Airbnb、Uber、Pinterest、日立、コマツ、LINE、ソフトバンク、WeWork、NewsPicks、ガンホー、ネスレ……。

 それにもかかわらず、最後の最後になって、どんな町にも存在する「スナック」を挙げたのには理由がある。

 それは、そんな成功事例として挙げられた企業もまた、小さな分子の一つに過ぎないということに気づいて欲しいからである。

 そして、大事なのは、そんな華々しい勝者たちよりもむしろ、その陰で滅ぼされ、消えていった無数の敗者が、なぜ失敗したか、ということに想いを馳せることである。

 人は成功事例が好きだ。しかし、そのとおりにやったところで、必ず成功するわけではない。ここで取り上げた三原則にせよ、三つの技術進化にせよ、それは帰納的に導き出された仮説にしか過ぎず、必ずしも再現性のあるものではない。

 失敗して消え去ってしまった企業は、恐らく、今この瞬間、ディスラプターに戦々恐々としている企業と同じく、生き残るために必死だったに違いない。

 自らを守ろうと、必死で顧客を囲い込み、ディスラプターに対抗したかもしれない。業界で徒党を組んで、ロビーイングをして法的規制を強化することでなんとか逃げ切ろうしたかもしれない。

 しかし、彼らはすべて消え去ってしまった。ひとたび、ディスラプションが起きてしまうと、それはもはや不可逆であることを彼らの失敗から学んだ方が良い。

 そして、もう一つ失敗から学べるとするならば、月並みではあるが、『種の起源』で知られるチャールズ・ダーウィンが言ったとされる次の言葉である。

It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.
(生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである)