『漫画 君たちはどう生きるのか』が突く、生きる上での本質
ディスラプター側に立つのは、誰にでもできることではない。それは「インフォメーション」「モビリティ」「エネルギー」の3つの技術進化を主導する者だけに許された資格だからだ。
しかし、ディスラプションの時代においても、したたかに生きていくことは、自分次第でいかようにも可能だ。
2017年、『漫画 君たちはどう生きるのか』(吉野源三郎著、羽賀翔一イラスト)という本がベストセラーとなった。発行元によると200万部を超える発行部数だという。
この本の原作の出版は1937年と、第二次世界大戦前だという。それにもかかわらず、これほどの人気を博したということは、現代に生きる多くの人が「どう生きるのか」に悩んでいるということ、そしてその答えは、80年を経ても変わらない普遍的なものであることを示している。あるいは、今の空気が第二次世界大戦直前の空気に似ているということがあるかもしれない。
その本の中で、主人公の「コペル君」が、銀座の往来を行き交う人々をデパートの屋上から見て「分子」のようだと呟くシーンがある。これは、このディスラプションの時代を生きる上でも本質を突いている。
私たち一人一人は、あるいはそれぞれが属する企業といったものですら、長い生命の歴史、そして人類の歴史において、小さな分子の一つに過ぎない。
一つの小さな分子になりきって考えてみると、今自分が守ろうとしている業界やそのしきたり、あるいはビジネスモデルそのものも取るに足らないということがわかるだろう。
一分子に過ぎない自分自身、あるいは所属する会社が一体どうすればもっと世の中の役に立てるのか? 必要とされているのは、結局そういうことでしかない。
今も寂れゆく町の片隅で、多くの「スナック」が細々ながらも生きながらえているのは、自らがそんな小さな分子の一つであることを十分にわかっているからかもしれない。