そして世間は、負けたら終わりの高校野球を「刹那のドラマ」と囃し立て、他人事である前提で感動したり泣いたり、高校生自身の気持ちや日常などまったく配慮されていない。あれから44年が経つ。この間一度も、3年生に夏の大会以降も試合出場の機会を与えるべきではないか、といった提言をほとんど聞いたことがない。

「甲子園の原点」とは?40年以上前に著されたある書籍

 高校野球を原点に戻したい、高校生たちの素直な気持ちをグラウンドに反映したい。高校生それぞれの発達段階に適した大会形式を新たに実現したい、それによって野球人気を触発し、野球人口の増加につなげたい、そんな切実な思いから私は「甲子園は100回で終わり」と提言している。

「甲子園」を、高校野球の絶対的存在と位置づけることで発生している弊害に目を向けるべき時期に来ている。遅すぎるくらいだ。水戸黄門の印籠のように高野連や監督たちが「甲子園」を持ち出すことで、高校野球の支配体制は維持され、理不尽で時代遅れの論理が見直される機会を失う。

 まだ高校野球への複雑な思いが癒えない大学時代、偶然手にした一冊の本、『甲子園の心を求めて』から受けた感銘が頭の片隅に息づいている。昭和50(1975)年6月に発行され、4年後には新版と続編も出版された。著者は、都立東大和高監督(当時)の佐藤道輔さん(故人)。教師になって初めて赴任した都立大島高の野球部員や父母たちとの熱い挑戦の日々が綴られている。

 佐藤道輔さんは、この本の〈はじめに〉でこう書いている。 

『私は、あの華やかな舞台の甲子園だけでなく、もっと本当の意味での甲子園像が、ほかにあるような気がしてならないのである。全国に二六〇〇を越える高校野球のチームの多くは、甲子園をはるかに遠くにして敗れ去っていく。しかし地方予選の一回戦に敗れていったチームの中にも真の甲子園の心を求めたチームがあるはずではないのだろうか。』

 都立東大和は出版の3年後、昭和53(1978)年春の東京都大会に準優勝、夏の西東京大会でも決勝に進み、“都立の星”と呼ばれるようになった。昭和60年(1985)にも決勝に進出、日大三高に5対2で敗れ、またも甲子園に届かなかった。

 この本の底に流れる思いと実践には、高校野球の原点がある。出版から43年の歳月が流れているが、実はいまも佐藤道輔さんの提言を受け止め、試行錯誤を重ねている監督たちが全国にいる。