現場主義から離れた九紫が
引き起こした“二つの大失敗”

 こんな順風満帆に見える安藤さんにも大きな失敗が2つあります。
 それも相当に手痛い失敗が。

 一つは1957年、どうしてもと乞われて就任した信用組合理事長でしたが、素人集団的な金融機関だったこともあり経営破たんしました。
 安藤さん【陰2年】(秋1年目)の年でした。安藤さんは当時のことをこう振り返っています。

《私は自分で判断して仕事を進める「現場主義」の人間だから、組織型の、分業化された仕事が肌に合わない。断るべきだったのである。ところが、ついつい甘い言葉にのって、引き受けることになってしまった》
(安藤百福著『魔法のラーメン物語』日本経済新聞出版社)

 このとき、無一文になって、人生の再スタートとして取り組んだのがインスタントラーメンの開発で、その後の人生は前述したとおりです。

 二つ目の大きな失敗は「カップライス」

 政府から余剰米問題の解決を打診された安藤さんは1975年、当時の日清食品の資本金の2倍にあたる30億円を投じで生産設備を整え、インスタント米飯「カップライス」を世に出しました。

 政治家や行政官僚、経済人からは絶賛、新聞などは「奇跡の食品」「米作農業の救世主」と持ち上げます。

 しかし、結果は惨憺たるもの。
 主婦からすれば、ごはんは家でも炊けるから、わざわざ1個200円のカップライスを買う必要はなかったのです(インスタントラーメンが1個50円の時代)。
 安藤さんの敗戦の弁を聞いてみましょう。

《私はカップライスの人気が実体のない砂上の楼閣であることに気づいた。幾晩も眠れぬ夜を過ごした後、撤退を覚悟した。三十億円は捨てても仕方がないという気持ちになった》
(安藤百福著『魔法のラーメン物語』日本経済新聞出版社)

 カップライスの記者発表が1975年9月27日、同年11月末撤退決断。
 この年は安藤さん【陰2年】の年、信用組合の破たんの年と同じバイオリズム(→バイオリズムがわかる表は『“強運を呼ぶ”9code(ナインコード)占い』参照)です。

 陰2年の年は「慢心」に注意する時期。ちょっとした油断が命取りになります。

 でも、直観力がある「火の九紫」は気づきも早いのです。
 さらに、持ち前の行動力がともなうと決断も早くなります。
 安藤さんの意思決定の迅速さは「九紫の鑑」と言えましょう。
 傷を浅いうちに見きわめ、「金のなる木」にさらなる情熱をかける。
 特に、このときの撤退は安藤さんにしかできなかった、いや安藤さんだったからできた英断だと感じてなりません。