カップヌードル
完全無欠の知名度は
「あさま山荘事件」がきっかけだった?

 安藤さん、第二の発明が「カップヌードル」です。
 このカップヌードルの開発には相当苦労されたようです。

・発泡スチロールを使った容器開発
・長期保存を念頭に置いた密封性のある蓋
・厚さ6センチにもなる麺を揚げる方法
・麺を容器に固定する方法

 こうした技術面の難題を、過去の経験と新たな発想、そして身の回りにあるものをヒントに次々とクリアしていきました。
 あるときは、飛行機に乗っていたときに出された、マカデミアナッツが入ったアルミ容器を蓋の素材として着目。

 あるときは、麺を容器に固定する方法として容器に麺を入れるのではなく、天地を逆にして麺に容器をかぶせるという発想をゴロンと横になっているときに。

 そして、「なければ自分でつくる」という「火の九紫」の熱い情熱は、ここでもいかんなく発揮されます。

 日本の技術で容器開発ができないとわかると、すぐに米国の技術(ダート社の技術)を導入して合弁会社をつくりました(現在の日清化成)。

 また、フリーズドライ製法による具材生産も同じく別会社を設立して技術の内製化を進めます(日清エフ・ディ食品)。

 そしてなにより、肝心のカップヌードルの工場ですが、まだ製品のサンプルもできていない状態から工場建設に着手。カップヌードル販売開始の1ヵ月後に何といきなり日産20万食の関東工場の完成です。

 この時期の安藤さんの仕事にかけるエネルギーは、恐ろしいほどにすさまじいものでした。
 まさに全身全霊をかけてという言葉がふさわしいでしょう。
「ここが攻め時」と時流を読んでいたからでしょうか。

 安藤さんいわく、
「私は細心大胆をモットーにしているが、この時ほど大胆だったことはない」
(安藤百福著『魔法のラーメン物語』日本経済新聞出版社)

 この時期を、安藤さんのナインコードのバイオリズムで分析するとこうなります。
 カップヌードルの開発開始は1969年、安藤さん【陰5年】(春1年目)の年、販売開始は1971年、安藤さん【陽2年】(春3年目)の年でした。

 そして、東京銀座の歩行者天国での試食イベントや給湯付き自動販売機の開発などで徐々に浸透してきた矢先に起こった運命の事件。
 あさま山荘事件は1972年、安藤さん【陽3年】(夏1年目)の年。
 全国にテレビ中継されたこの事件。
 雪の中で機動隊員が食べている湯気の上がるカップヌードルが俄然注目され、これをきっかけにカップヌードルは完全無敵の知名度を得てチキンラーメン以来の大ブームを迎えるのでした。