九紫ならではの「烈火の驀進」で
開発を進めたチキンラーメン

 安藤百福さんは1910年3月生まれ。

 ナインコードは「火の九紫」です(→すべての人が9タイプに分かれる一発判定は『“強運を呼ぶ”9code(ナインコード)占い』を参照)。

 日本統治下の台湾で生まれ幼年期を過ごし、戦中、戦後は日本で激動の時代を生き抜いた事業家の一人でした。

 チキンラーメンでおなじみの日清食品の創業者です。
 ちなみに、2018年後期のNHK朝の連続ドラマ小説『まんぷく』は、この安藤百福さんと妻・仁子(まさこ)さんの半生をモデルにしています。

 さて、「火の九紫」といえば“感性”、インスピレーションがすぐれているのが一番の特徴です。

 ですから、何かをゼロから生み出す「発明」などの発想力、そして行動力を学ぶには「火の九紫」の人を参考にするのが最適です。

 安藤さんは実にアイデア豊富な人で、製品の開発もそうですが、拡販にもそのアイデアをいかんなく発揮します。

 自宅裏の小さな小屋で一年余りの試行錯誤のうえ、完成した日本初、世界初のインスタントラーメンは、1958年(昭和33年)、賃貸の工場で一日1200ケースから販売がスタート。
 まず、流通の壁を突破することが第一の関門となっていました。

 安藤さんがまずやったのは、試食販売。
 大阪・梅田の阪急百貨店では、用意した500食を完売。
 これが次の波を作ります。
 新しい「食」を体験した主婦らの声が結果的に小売店、そして問屋を動かし、瞬く間にインスタントラーメンブームを作り出したのでした。

 さらに、時代は高度成長期。
 三種の神器の一つ「テレビ」が普及し、安藤さんはテレビコマーシャルを大活用していきます。
 特に10~20代の若い人向けの番組を提供することでその知名度を上げていったのです。

 1959年に完成した一日10万食の新工場もフル稼働しても追いつかないくらいの爆売れ現象。日清食品は1963年10月、チキンラーメンの販売開始から5年で東京・大阪の両証券取引所第二部に上場を果たします。新しい波、流れを逃がさず活用する。そして、攻める。マス・マーケティングの先駆けとして時代を味方にした安藤さん。九紫ならではの烈火の驀進(ばくしん)です。