ウェブ学習サービス「スタディサプリ」の生みの親で、リクルート マーケティング パートナーズ社長の山口文洋さんをお迎えし、書籍『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』の著者・朝倉祐介さんとの対談をお送りしています。成長する新規事業をうみだし運営する難しさや面白さ、ファイナンス思考の鍛え方について伺っていきます。

朝倉祐介さん(以下、朝倉) 大手企業で新規事業を始めると、利用者数や売り上げなどKPI(重要業績評価指標)が積み上がってきても、PLが赤字で投資回収に至らないと、部内に不安がよぎったり周囲の見方が厳しくなる。いかに対応されていますか。

事業計画数値から3年後の戦略が見える――という達人レベルの戦略家の達人になれる方法とは?<br /><br />山口文洋(やまぐち・ふみひろ)さん
リクルート マーケティング パートナーズ代表取締役社長
ITベンチャーなどを経て、2006年リクルート入社。12年メディアプロデュース統括部長、13年ネットビジネス本部本部長、15年4月より現職。

山口文洋さん(以下、山口) その点は、僕自身も、この5~6年で試行錯誤をしています。始まったばかりの事業の場合、投資してほしい、評価を受けたいと思うと、ここまで成長したいという「意思」を込めた事業計画を立ててしまいがちです。僕もスタディサプリを約7年手掛けてきたうちの前半3年ほどは、前のめり感が強過ぎた。いざ実行してみると、目標に到達しないわけです。  それでも、ファウンダー(創業者)である自分は将来の成長を信じ、世界を変えるんだと疑わないからへこみません。でも、社内からは「この事業は大丈夫か」「来年、再来年に、この事業はないのかも」と心配の声が出始めたりするんですね。

朝倉 スタートアップでも、同様のことが起こりがちです。

山口 本来は既存ユーザーの学習成果を最大化するための機能開発などに社内メンバーを集中させたい。それなのに、足りない売り上げや利益を埋めようと「広告費を増やして新規会員を増やそう」といった話がまん延し始めるんです。これではいけないと大いに反省しました。

 こういうとき、リクルートの経営陣は「実績やトレンドは見えてきたから、事業計画にはあまり意思を入れず、中長期的に現場が価値を磨くことに集中できるようにしよう」とアドバイスをくれました。同時に、「あの事業は危ないと思われたら評価が下がる。事業の成長と提供価値の両方を上げていくようにしよう」とも諭され、今は心の中にはアスピレーション(熱情)を持ちながら、現場には中長期的な視野で戦略を立てていることを強調し、着実に価値をつくっていこうとオペレーションを巻き直しています。

MBAより有意義?!小さいビジネスを回して
お金の流れを経験しよう

朝倉 僕自身に答えがあるわけではないのでヒントを頂きたいのですが、『ファイナンス思考』の読者の方から、PL脳を捨ててファイナンス思考に転換しようという主張は面白いし重要だと思うけれど、一体どうやったら身に付くのか、と聞かれるんです。ご自身の経験も踏まえ、いかが思われますか。

山口 ひとつ、僕がスタディサプリでやってみたいのは、子どものときからお金に対する感覚や数字の見方を身に付けられる授業を増やすことです。生きていくための基礎知識として、一生役に立つと思うんですよね。
 アメリカだと、モノポリーみたいなゲームで学んだり、子供が中学生になると親がごく小額で株を買って運用させてみたりするじゃないですか。それと同じで、個人の生活上でも、収入面のPL(損益計算書)だけでなく、BS(貸借対照表)やキャッシュフロー(CF)計算書を作って管理するなどしていくとか。あるいは、小さな会社を自分で作るか、副業として誰かの小さな会社を手伝うといったことで、資金や資産の流れをみるだけで、実体験としてファイナンス思考が身についていくのではないでしょうか。企業規模が違ったとしても基本的なお金の流れは同じですよね。

事業計画数値から3年後の戦略が見える――という達人レベルの戦略家の達人になれる方法とは?<br /><br /> 朝倉祐介(あさくら・ゆうすけ)さん
シニフィアン株式会社共同代表
マッキンゼー・アンド・カンパニーを経て、大学在学中に設立したスタートアップに復帰、代表に就任。ミクシィへの売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。2017年より現任。

 僕の場合は、第二新卒で入ったERPベンダー(基幹業務サービスやサプライチェーン、会計管理のソフトのSEとして当初入社)もスタートアップみたいな40~50人の会社だったので、経理のような仕事も任されたり、顧客だった大手企業を裏側から見通すことで、財務三表はもちろん、その裏側にある戦略や組織の動きが、非常に明快にわかったんですね。そういう生きたファイナンス思考ができる場所にいると、勝手に身につきます。

朝倉 たしかに大きな企業だと、チームに細かく割り振って仕事をするので、全体像が見えづらいところはありますよね。僕も、マッキンゼー&カンパニーのコンサルタント時代よりも、学生時代に立ち上げたスタートアップの経営を任されるようになってからのほうが、会社の仕組みが見えるようになった実感があります。それこそ、プログラミング以外の、資金調達から経理、労務、総務、ごみ出しに至るまで、全部自分でやりましたから、一連の流れがわかるようになった。大企業からMBAコースに派遣するのもいいけれど、本当にビジネスを知るためには、1年間お店を経営してみるとか小さいサイズのビジネスをやってみたほうが、全体感がつかめるし、そこで必要性を感じて初めて勉強する意欲もわくのではないかと思います。

山口 MBAもいいですが、大企業であれば、子会社・孫会社の経営ポジションやそういう人を支える参謀役として、早い時期に経営を経験するのがいいと思います。小さい規模でも、全体のPL、BS、CFと、それにひもづいて人々が織りなしている戦略の実行推進、そこからどうしても出てくる組織課題を見ていくと、数字と実態がリンクしていることが実感できますよね。

事業計画数値から3年後の戦略が見える――という達人レベルの戦略家の達人になれる方法とは?<br /><br />MBAもいいけれど、大会社なら子会社・孫会社で早い時期に経営を経験するべき、と山口さん

 仮にビジネスユニットであっても、若いうちから経営責任を任される立場になると、PL主体であっても、その裏側には常にBSとCFがあるので、意識できると思います。

 以前、リクルートのある事業責任者に「戦略を描いたうえで投資計画に落とし込むのだけど、優秀な企画マンが作った数字は、それを見ただけで事業が3年後にどういう戦略をとろうとしているかすぐに伝わる。逆に、戦略で描いたことが数字に表れていないとしたら、それは優秀な企画マンじゃない」と言われたことは、今も忘れません。

朝倉 かなり達人の域ですね。

ちょっとした価値をつくるくらいなら
PL脳でいいけれど…それでいいのか

事業計画数値から3年後の戦略が見える――という達人レベルの戦略家の達人になれる方法とは?<br /><br />お金は意味ある価値を提供したら見返りとして頂けるもの、と朝倉さん

朝倉 『ファイナンス思考』のなかで、お金のことにばかり触れていると拝金主義ぽく見えかねないので、「お金は価値を測る尺度」だということを強調して書いています。不正をしてお金を得るのは許されないけれど、お金は意味のある価値を提供したら当然その見返りとして頂けるものだし、お金を頂けない事業であれば、そもそも世の中に十分な価値を提供しているとは言えない。この点、山口さんのスタディサプリでの取り組みが、価値を提供していくことを中心にすえていらっしゃるんだな、ということが印象に残りました。

山口 ちょっとした価値をつくるなら、PLの短期志向でもできるんですよね。でも、圧倒的に世の中を変えるぐらいの価値をうみだすには、相当の資本が必要なのも事実。それには中長期の視点で事業を組み立てて、ファイナンス思考で整理して伝えないと大資本は集められない。なにか社会にインパクトのある仕掛けをしたいなら、スタートアップだろうが大企業だろうが、ファイナンス思考をもってシェアホルダーに話をする必要があります。

朝倉 まったく同感です。僕なりにはそれを「志」の問題という言葉で表現しているのですが、起点として、大きなものを生み出す意思をもっているかどうか、それを実現するための考え方がファイナンスだと思うし、山口さんもまさに実践なさっていて、その途上にいらっしゃることを感じました。今日はありがとうございました。