共有物の悲劇〜衰退してきた日本の漁業
一方で、そうした取り組みを先送りしてきた国の現状はどうか。ご覧の通り、日本の漁獲量は近年、急速に減って来ているが(前頁のグラフ参照)、まさにその一つの原因が海の資源に対する政策の欠如である。
日本の漁業は終戦後急速に成長を遂げたが、80年代以降はそれを上回る勢いで減速した。原因は、その頃世界各国が次々と導入した排他的経済水域(EEZ)だ。それまで世界に先駆けて世界各国の豊かな漁場を自由に往来した日本の漁船は、その多くの海域から閉め出された。遠洋から沖合漁業へと多くの漁船が舵を切ったことで、今度は日本の魚が穫り尽くされる羽目となった。
Tragedy of the Commons ―― 「共有物の悲劇」。世界中の国が直面している問題を、海洋学者はそう表現している。自由に世界の海を行き来する魚には、所有者がいない。公共の資源として、それぞれの漁船が自分たちの利益のために最大限その獲得にいそしんだ結果、皮肉なことに海から資源が消え、自らの経済活動を蝕んでいる。
アイスランドではニシンの枯渇により、魚が有限であることを教訓とした。サバやマイワシの枯渇、日本でもずいぶん昔から、その警鐘は鳴り響いている。
震災を経て先延ばしにできなくなった
先細りになるばかりの漁業。そこに、東日本大震災が三陸沿岸の産業に与えた影響は、悲劇的だ。
震災直後、私たちが訪れた市町村の中でも、その被害の深刻さが際だっていたのが気仙沼だった。水産加工業が産業の8割を担う街。地震直後の津波と、それによる石油タンクの引火から起こった大火災が、人々の命や生活、そして水産業という基幹産業を根こそぎ奪った。