被災地にない私たちは、その実態をどこまで知っているだろうか。震災以降、気仙沼に関する報道は、むしろ順調な復興を示唆するものが多かった。「いち早い魚市場の再開」「カツオ漁船の寄港」「15年連続生鮮カツオの水揚げ日本一」等々、気仙沼の基幹産業が順調に立ち直っている...。少なくとも私の見たニュース番組のキャスターの口調は、軽快だった。
しかし、いざ現地を訪れてみれば、その明るい報道とは裏腹な現実を、目の当たりにすることになった。
気仙沼といえばカツオ漁で知られるが、それに欠かせないものは何か。港の復旧や市場の再開は当然だが、同じくらい重要なものがある。それは、カツオの一本釣りに欠かせない、活きたイワシだ。
気仙沼市唐桑町の北端に位置する小さな港、大沢漁港は、まさにイワシの確保に奔走した漁師たちの戦いの場である。3月11日、彼らが港につけた船の大半が津波に飲み込まれた。その後、全国の漁師から使わなくなった船をもらい受け、山に流された網を修理して、漁を続けている。
自分の家も失い、毎日の生活もままならない中、彼らはいち早く定置網を再開し、餌となるイワシをとり始めた。2011年11月上旬。幾度目かの大沢漁港への訪問は、鮭漁の季節だった。港に流れ込む小さな川にも、鮭の魚影が濃い。漁師たちは鮭漁に精を出すなか、その沖合には高知県から来たカツオ漁船、佐賀明神丸が停泊し、いけすからイワシを積み込んでいた。
「自分や家族のことを考えたら身入りのいい鮭漁に集中したい」。港に戻った船の作業を見守りながら、定置網を経営する熊谷社長は呟いた。市場価値の高い鮭。古い装備の船で休みなく船を回し、疲れきった漁師たち。しかし、その疲れを押して、彼らは、海に出て鮭漁とイワシの捕獲を並行する。聞けば気仙沼船籍のカツオ漁船はもう存在しない。彼らが穫ったイワシは、西日本から上り鰹を求めて船を出し、毎年気仙沼にやってくる漁船たちのためのものだ。
「来年もやれ、と言われたら無理」――熊谷社長の言葉が胸に刺さった。