気仙沼が表面的でも素早く復旧したように見えたのは、一旦機能を失った港の末路を、地元の人々がよく知っていたためだ。阪神大震災の後、復旧までに時間を要した神戸港には、船が戻ってこなかった。だからこそ、家や家族を失ったにもかかわらず、地元の漁協や水産業に従事する人々は、待ったなしで港と氷蔵など、最低限の港湾設備の復旧を急いだ。
徹底した資源管理で、豊かな漁場を確保するアイスランド。養殖と保存の技術に優れたノルウェー。圧倒的な規模と大きな加工工場、安い人件費、そして巨大な市場を併せ持つ中国や台湾。日本の漁業が問題を先送りしているうちに、世界では新たな漁業先進国が有利なポジションを争ってしのぎを削る。政府が推進する復旧が進み、気仙沼をはじめとする漁業の街が元の状態に戻ったとしても、順調に発展を遂げるこれらの国との激しい競争に再び巻き込まれることは必至だ。世界と対峙するには、インフラだけ立て直したとしても明るい未来は見えてこない。
大々的に報道された気仙沼漁港の復活。それを牽引したのは結局のところ、そこに住む人々の「気仙沼をダメにしてはいけない」という思いと努力に尽きる。この苦境を脱するには、水産業の価値を底上げし、ひとりひとりの極度な努力に依存しない地域ビジネスのあり方を確立することが必須だろう。世界三大漁場と称される三陸の豊かな海との関わりを活かし、これまでにない価値を創出すること。つまり、地域イノベーションの成否が、気仙沼の未来を左右する。
この処方箋については次回以降、私たちが進める復興支援の取り組みを例に挙げながら紹介していくことにしたい。