なぜ、「勉強ができる人」が
「仕事ができない人」になってしまうのか

まず、第1の「学歴」という落し穴とは何でしょうか。

それは、「学歴的な優秀さ」と「職業的な優秀さ」の違いを理解できないという落し穴です。

実は、偏差値の高い有名大学を卒業した人で、この落し穴に陥ってしまう人は、残念ながら、決して少なくありません。
もとより、偏差値の高い有名大学を卒業し、「高学歴」と評価される人は、「勉強ができる」という意味においては、極めて優秀なのですが、実社会においては、「勉強ができる」という意味での優秀さと、「仕事ができる」という意味での優秀さは、全く違うものです。

すなわち、「学歴的優秀さ」と「職業的優秀さ」は、全く違うものです。

これは、永く実社会を歩んだ人間にとっては、ある意味で「常識」でもあるのですが、残念ながら、学生時代に「勉強ができる」という評価を得た人は、実社会に出ても、この「学歴的優秀さ」と「職業的優秀さ」とは全く違う優秀さであることに気がつかず、もしくは、気がつこうとせず、「学歴的優秀さ」に依存してしまい、実社会が求める「職業的優秀さ」を身につけ、「仕事ができる」ようになるための能力開発を怠ってしまうのです。

では、そもそも、「学歴的優秀さ」=「勉強ができる」ということは、何を意味しているのでしょうか。

それは、現在の偏差値重視の教育制度においては、端的に言えば、「論理的思考力」と「知識の修得力」という2つの能力が優れていることを意味しています。

「論理的思考力」が優れていれば、大学の入学試験において、物理や数学などの科目で好成績が収められ、また、「知識の修得力」が優れていれば、英語や歴史、化学や生物などの科目で好成績を収められるため、その人材は、当然のことながら、「高学歴」を手にすることができます。

これに対して、「職業的優秀さ」=「仕事ができる」ということは、この「論理的思考力」と「知識の修得力」よりも、さらに高度な、「直観的判断力」と「智恵の修得力」において優れていることを意味しています。

なぜなら、仕事の世界においては、「論理的」に考えて答えが出る問題よりも、感覚や勘といった形で、「直観的」に判断しなければならない問題が多いからです。
例えば、商品開発において、どのような商品がヒットするかという問題は、論理的思考力だけでは答えが出ません。また、顧客営業において、お客様の表情から、その気持ちが分かるかということも、論理的思考力ではなく、直観的判断力が求められる問題です。
そして、企業や組織では、上の立場になるほど、人事判断や戦略判断という、より高度な形で、この直観的判断力が求められます。