学生時代に投資を始め、それで得た資金がラクスル創業にも役立ったという松本CEO。若い人も、まずは1回投資をやってみるべき、と言います。日本の働く世代に手頃な資産運用サービスを届けるウェルスナビ代表取締役CEOの柴山和久さんの著書『元財務官僚が5つの失敗をしてたどり着いた これからの投資の思考法』発売を記念した、印刷業界の革命児であるラクスル代表取締役CEOの松本恭攝さんとの対談後編では、松本CEOに、ご自身の個人的な投資経験から得た教訓や、霞が関を変革するアイデアを伺っていきます。(撮影:疋田千里)

国家公務員の給料を財団で運用してねん出しよう!

柴山和久さん(以下、柴山) 松本さんは富山のご出身で、ご親族の公務員が多いと伺いました。だとすると、ご親族はあまり資産運用されていなかったですかね。私の財務省時代の同僚・先輩もほとんどしていなかった印象です。最近、ようやくNISAを始めようとしたら書類が多すぎて挫折しそうになった、という話を聞くほどです(笑)。

松本恭攝(まつもと・やすかね)
ラクスル株式会社代表取締役社長CEO
2008年慶應義塾大学商学部卒業、A.T.カーニー株式会社入社、翌年ラクスルを設立し現任。

松本恭攝さん(以下、松本) そうなんです。父、母、叔父、叔母、義姉みんな公務員でした。兄は今は違いますが、一時やはり公務員でしたし。おっしゃるとおり、みんな資産運用はすごくコンサバティブで、両親は70才前後ですが、退職するまで運用はしていなかったと思います。退職金で投資信託メインの運用を始めたみたいです。

柴山 そういえば、松本さんは公務員になろうとは思わなかったんですね。

松本 周りを見ていて、自分には合わないと思ってましたから。新しいことに挑戦するのが好きだし、毎日同じルーティンをこなすなんて私には無理です(笑)。
 ただ、国のデザインを作るために霞が関には優秀な人が集まったほうがいいと思っているので、そのための仕組みは変えるべきではないかという点で関心は持っています。今の霞が関の仕組みも素晴らしいけれど、変革に耐える形ではなく、戦後からの延長ですよね。個々人の大義はあっても、人材を確保するうえで生涯賃金の保証は大切です。天下りは禁止すべきだと思いますが、平均年収を2000万円ぐらいにすれば、優秀な人が集まりますよ。ただ、それを税金の中でやりくりしようと思うから国民感情で許せない、という話になる。金融市場から調達するようなファウンデーション(財団、基金)をつくればいいのではないか、と思います。日本はコアの設計を優秀な人材が熱意を持って迷いなく取り組むためには報酬は不可欠。税金で賄おうとすると、限界がある。

柴山 たしかにアメリカでは、野党になるとシンクタンクに下野して高い給料をもらい、与党になると戻ってくる。政策立案の機能を、税金と財団とで半分ずつまかなう構造ですよね。

松本 アメリカのそれは行き過ぎて批判されることもあるようですが、日本ではそういう工夫がなさすぎではないでしょうか。イェール大学やハーバード大学のエンダウメント(大学財団)をバックとした、いい機関投資家も多いですし。財団が金融市場を活用してお金をつくり、働く人に配分すればいい。
 アメリカの国力が強いのは、金融によってお金を回すことができているからです。お金は「貯める」ことや「増やす」ことより、「流す」ことが重要だと思うんですね。お金が流れる量が増えていくと、基本的には人材が集まって、イノベーションが起こる。アメリカはその流れをうまく作っています。日本はお金が流れづらい。企業から従業員へも、家庭から消費へも、金融市場から家庭へも、いろいろなところでお金の流れが詰まってしまっている。

日本には、お金があっても流れていない

柴山 日本の場合、持っているお金の量は多いんですけど、「お金のヴェロシティ(速さ)」がないので、停滞してしまって豊かになれない、という構造ですね。
 今の霞が関では、政策の立案より意思決定のための調整に時間を使っています。おっしゃるように、たとえば1000億円をまわす財団を作って50億円で政策担当者の年収をまかなうといった発想は、本来的な行政のあり方に近いと思います。公務員のグランドデザインとして、老後も含めて心配しなくていいから社会全体のことだけ考えなさいというのが古今東西の公務員の組織なんです。いまは、その保障がなされなくなっているので、政策が作れなくなっている部分もたしかにある気はします。

松本 一般の方が資産運用によって安心できるとか、霞が関に優秀な人が集まるとか、すべてはお金の流れる仕組みを変えればできるんじゃないかと思います。

柴山 松本さんご自身は、いつごろから資産運用に興味を持たれたんですか。

松本 最初は19歳のときに、大和証券に未成年を受け入れる口座を使って株投資を始めました。当時、大学生の株クラブが流行っていて、『東大生が書いた世界一やさしい株の教科書』(東京大学株式投資クラブAgents著、PHP文庫)を書いた周辺メンバーと一緒に。2004~2005年だったので、不動産で少しバブルが始まったり、ITでもライブドアが出始めるなど、大学1~3年生は株投資をかなり頑張ってましたね。でもそれは、今思い返せば、分析をしていたようで、していないような(笑)。

柴山和久(しばやま・かずひさ)
ウェルスナビ代表取締役CEO
次世代の金融インフラを日本に築きたいという思いから、2015年に起業し現職。2016年、世界水準の資産運用を自動化した「ウェルスナビ」をリリースした。2000年より9年間、日英の財務省で、予算、税制、金融、国際交渉に従事。2010年より5年間、マッキンゼーにおいて主に日米の金融プロジェクトに従事し、ウォール街に本拠を置く資産規模10兆円の機関投資家を1年半サポートした。東京大学法学部、ハーバード・ロースクール、INSEAD卒業。ニューヨーク州弁護士。

柴山 私も起業前に株投資の経験があるのですが、マッキンゼーで分析手法を身につけたり、今のように経営者として資金調達をする側の立場に回ると、当時の株投資のための分析なんて、分析のレベルになかったというか(笑)。竹槍で戦車と戦うようなものでしたが、そのときは竹槍だとわかってなかったです。

松本 自分もすごく分析できてると思ってました(笑)。

柴山 投資の成果はどうでしたか。

松本 大きく二度下げました。最初は2006年のライブドアショックで、資産が半分ぐらいに減りましたね。2008年にかけて不動産は盛り返してきていたんですが、2008年のリーマンショックでまたドンと落ちた。ただこのとき、元本が毀損したタイミングで買ったREITの配当利回りが20%近くて、その配当がラクスル創業の資本金に大きく寄与したんです。株をやってなかったら、資本金を出せなかったかも。
 今思えば、成長株だけでなく不動産というちょっと渋いところと両方のアセットをもっていたのが幸いしました。ライブドアショックでベンチャー株がダメになって、リーマンショックで株が全部だめになった後も、まあ不動産は言っても企業業績ほど落ちませんから、ある種の不動産収入によるキャッシュインがあって、それが元手になってスタートアップになった、というわけです。