こうした点については、拙稿『中国人住民が半数を占める埼玉の団地「ガラスの共生社会」のリアル』も参照されたい。日本人と外国人との「共生」を、外国人が日本の社会、風土・文化等を理解し、日本語を習得して自分のものとして使用できるようになり、日本人と同等に日本社会に参加できるようになること、つまり日本社会への統合と考えれば、統合は極めて困難なのではないか。

政府は「共生」について
楽観的すぎるのではないか

 実際、英国のジャーナリストのDouglas Murrayは、その著 “The Strange Death of Europe”において、英国で多文化主義の名の下に進められてきた共生政策が、統合とはほど遠い、一つの社会の中に複数の異なる文化、もっと言えば民族コミュニティを生んでしまうという結果を招いているといったことを、具体例を挙げつつ指摘している。

 ところが、この総合的対応策からは、政府が「共生」や統合について相当楽観的な態度を持っているであろうことがうかがえる。

 例えば、「共生施策としていかなる施策が必要とされるかを的確に把握することが必要」であるとして、「国民及び外国人の双方の意見に耳を傾け」ることが必要であるとしていながら、その具体的な方法は、こうした方向性からすればとても十分とは言えない次の2つである。

 すなわち、(1)「国民の声」と看板に書いておきながら、外国人材に対する需要の状況を中心に事業者等から意見聴取を行ってきた『「国民の声」を聴く会議』等を通じた意見の聴取、および(2)これまで日本に在住している外国人を対象に行われてきた「外国人住民調査」を参考とした、既に日本に居住している外国人の「職業生活上、日常生活上、社会生活上の問題点を的確に把握」する、外国人を対象とした基礎調査の2つだ。裏を返せば、外国人と「外国人材」を受け入れる事業者等、外国人支援関係者からしか意見聴取をしないということだ。

 つまり国民、地域住民の声は置き去りにされているのである。これで「的確に把握」できると考えているのだとしたら、失笑を通り越してあきれ返る。