読者はこの文章によって頭の中でアンサンブルを開始することになる。『BLUE GIANT』の石塚はこのようなジャズの演奏を、数枚の絵で表現する。これが実に面白い。沈黙の音楽である。読者は絵を見て緊張したまま物語をたどる。頭の中で音楽は鳴ってくれないが、沈黙の音楽は流れている。不思議な体験である。

 音楽をテーマにした漫画はたくさんある。クラシックで有名なのは二ノ宮知子『のだめカンタービレ』(全25巻、講談社、2002~2010年)だろう。クラシック音楽(ピアノ独奏やオーケストラ)を漫画で表現する技術と感覚に優れ、個別の作品が聞こえるように描かれていてびっくりしたものだ。映画化されて大きな話題になった。

 古くは手塚治虫の遺作『ルードウィヒ・B』(潮出版社、1989年)がある。ベートーベンの生涯を描こうとしたものだったが、未完に終わった。手塚治虫は音符を建築のように描いて読者を驚かせた。

 ほかにもクラシックを題材にした漫画には、一色まことの大作『ピアノの森』(全26巻、講談社、1999~2015年)、さそうあきら『神童』(全4巻、双葉社、1998年)と『マエストロ』(全3巻、双葉社、2004~08年)といった名作もある。いずれも面白いが、音そのものを絵で表現するテクニックでは『のだめカンタービレ』『ルードウィヒ・B』が抜きんでた存在だ。

 クラシックを絵で表現すると、読者はその作品の理想の演奏を頭の中で鳴らすことになる。よく知られた曲ならば、優れた絵に触発されて脳内の音楽は生き生きとはねまわる。

 ところが、ジャズはアドリブ、すなわち自由な表現が特長だ。たとえスタンダードの名曲であっても、演奏家の表現、演奏法、楽器の特質、サックスであればリードの状態の差も顕著に表れることになる。

 ジャズの旋律、リズム、和音を絵で表現するのは至難のワザだ。石塚はそれを沈黙のアンサンブルで表現することに成功している。

(ダイヤモンド社論説委員 坪井賢一)