ウェイボーに対する中国人の熱狂は
かなり冷めたとも言われるが……
2012年に入り、昨年までのウェイボーに対する中国人の熱狂はかなり沈静化したという声も聞かれる。身近にいる在日中国人の様子を見ていても、東日本大震災や高速鉄道事故の頃、新しい情報が次々と明るみに出ることで興奮し、時代に乗り遅れまいと誰もがウェイボーに夢中になっていたような熱気は薄らいできたように思う。「熱しやすく冷めやすい」のが中国人だとよくいわれるが、高橋学さんは「それがインフラになった証拠です」という。
ウェイボーはいうまでもなく、当局によって管理されたメディアである。中国のユーザーたちも、そのときどきでどんな話題、どの用語が削除されるか、自然に気づくように慣らされている。当局から見てどこまでが許されて、何をふみ越えるとまずいのか、探り探り口にするというのは、今に始まったことではない。翻っていえば、ウェイボーは当局が民意を探るツールでもあるのだ。
一方、フォロワー数の上位ランキングを芸能人が占める現状から、ウェイボーの過度な大衆化や堕落ぶりを批判するきまじめな声もある。フォロワー数を実数以上に底上げすることを商売にする輩の存在も問題になり、いまでは数だけ増やしても意味がないというのが常識になりつつある。
だが、ウェイボーがインフラになるということは、中国社会において個人はもとより企業活動を行う事業者がアカウントを持たなければ世の中に存在しないに等しいことを意味している。多くの中国人たちがウェイボーを通じて社会とアクセスする時代を迎えているからだ。「おしゃべり好き」社会の中国では、日本でならした従来型のプロモーションのチャネルだけでは立ち行かない状況が起きているのである。