こうして操作された欲望に対して、個人はどの程度抵抗できるだろうか。

「抵抗する必要はない」というのも1つの考え方かもしれないが、不安を覚えるのが大方の自然な人情ではなかろうか。少なくとも金融の世界では、欲望をコントロールされたら大損が確定的だ。

データ規制よりも「広告解毒アプリ」

 個人の行動データが広く集められ、あまりに有効にビジネスに利用されることが問題だとすると、個人データの利用に「規制」を設けるという対策があり得る。

 例えば、「個人が特定できる可能性のある個人の購買データやプロフィールなどを、本人の同意なく第三者に渡してはいけない」(穴だらけのザル規制だが、趣旨は分かってもらえると思う)という規制を作るとする。

 データの直接的な販売は難しくなるし、広告の募集にも制約が増えるし、企業をまたいだデータ解析が行いにくくなるので、個人の欲望の分析・操作の精度は下がるに違いない。消費者としては、しばらく安心かもしれない。

 しかし、こうした「人工的な不自由」を作っても、1つには規制にどの程度の実効性が確保できるか心許ないし、もう1つには規制をすり抜けることができる個人情報の収集と処理の技術が遠からず発達するはずだ。

 また、日本の規制が他国よりも相対的に厳しいものになると、日本国内の情報処理技術の発達が遅れることになる公算が大きい。消費者、生活者としては、サービスの提供者が日本にいなくても痛痒を感じないが、社会の繁栄の外部経済効果や税収などを考えると残念である。

 筆者は、個人データの扱いを規制するのとは別の方法を考えるべきだと思う。