沖縄や北海道でもポピュラーだった
イレズミが嫌われるようになった理由

 タトゥーの歴史については諸説あるが、特定の起源があるわけではなく、成人や地位の証し、霊力の証し、魔除けとして世界各地に自然発生的に広まったとされている。1769年タヒチに上陸したキャプテン・クックは、現地のイレズミ文化を記録した航海記に、『男女とも体に「タタウ」なる模様がある』と記述しており、これが「タトゥー」の語源となった。

「タトゥーを彫ることは痛みを伴うため、入れることは強さの証しとなり、そのコミュニティで一目置かれる材料となりました」

 こう解説するのは文化人類学者で『イレズミと日本人』などの著書を持つ、都留文科大学の山本芳美教授。イレズミを入れることが、コミュニティにおける1つの儀礼となっていたのは、日本も例外ではないという。

「沖縄や北海道のアイヌ民族には通過儀礼的なイレズミの慣習がありました。沖縄やアイヌの女性にとってイレズミは女性や結婚の印とされ、より美しくなるために施すもの。沖縄では年をとるにつれて手の文様を徐々に拡大し、イレズミがなければ、あの世に行けないと考える女性たちもいたといいます」

 16世紀の文献には、沖縄において主に指背から手甲、さらに肘にかけてイレズミを入れる習慣があったと記されている。それでは、いわゆる日本本土(本州と九州)ではどうだったのか?

「江戸時代には刑罰として顔面や腕に刻まれることもありましたが、徐々にイレズミはとびや火消し、飛脚など肌の露出が多い職人に好まれる身体装飾となっていき、数度の規制にもかかわらず、幕末には大流行します」

 そんななかで、日本のイレズミ規制が強化されたのは「開港以降、旅行や仕事などさまざまな目的で来日した外国人による評判を明治政府が気にしたこと」に端を発するという。

「規制の対象になったのは、明治以降に日本の一県となった沖縄も例外ではありません。政府はもともと沖縄にあった伝統的なイレズミ文化を否定。女性たちがイレズミをすることは禁じられ、本州よりも厳しく取り締まられました。沖縄では逮捕者が続出しました。もともと根付いていた沖縄ばかりでなくアイヌのイレズミの文化も、政府は法的に抑圧していったのです」