外国人を「部品」のように扱う
心なき日本政府の行く末は

「仕事ってのはそんな甘いもんじゃない!そういう苦労をすれば、いつかちゃんと報われるんだ」と怒り出すおじさんも多いかもしれない。

 ただ、日本人相手ならそういう説教も通用したかもしれないが、彼らは「外国人」である。日本人のように責任を求めるなら、日本人と同じような権利を与えるのが筋だ。それができないのに義務やリスク、そして重労働を押し付けるのなら、「お金」などの見返りを保障するしかないのだ。

 しかし、現行の「外国人労働者の受け入れ拡大」にはそういう視点はゼロだ。

 外国人は、日本人が嫌がる低賃金・重労働の仕事を黙々とこなせばよし。外国人には職業選択の自由はないので、決められた仕事以外はしてはならぬ――。そんな都合のいい「奴隷」制度のような話がうまくいくわけはないのである。

「消えた留学生」問題は、この国が「外国人」という人たちの「心」をまったく考慮せず、「部品」のひとつのようにしか捉えていないという事実を、これ以上ないほどわかりやすく露呈させた。

 これまで本連載で繰り返し指摘してきたように、人手不足業界の待遇改善、つまりは賃金を上げていくことをせずに、外国人労働者を受け入れても、日本人の低賃金労働の現場で既に起きているブラック企業、パワハラ、バイトテロなど「恥」を世界へ向けて発信することにしかならない。

 今回の問題を受けて、TBSの取材に対して東京福祉大学は「留学生を増やすという国策に沿ってやっている」と答えていた。

 これから外国人労働者をめぐるトラブルが日本中で増える。劣悪な労働環境やパワハラ、長時間労働を強いたとして告発されるブラック企業、悪徳ブローカーなども、自分たちの正当性を主張するため、「だって、これは国策ですから」というような釈明をするのは、容易に想像できる。

 実はこの構図は、70年を経てもいまだに日本を悩ます「従軍慰安婦」や、「徴用工」の問題とまったく同じである。

 慰安所に女性を売り飛ばした韓国の女衒や、外国人の炭鉱夫をこき使った企業は口が避けても、「外国人は低賃金でこき使えるから」とは言わなかった。では、どういう大義名分を掲げたかというと、「日本のため」である。

 このように、日本人労働者から敬遠されるブラック業界の救済のため、「国策」を持ち出してしまったことが、すべての悲劇の始まりなのだ。

 日本に来たい、働きたい、と言っていた外国人が、ある日を境に「被害者」へと変わるのがこの手の問題の恐ろしいところだ。やはり「外国人労働者」問題の行き着くところは、「従軍慰安婦」や「徴用工」のような国際的人権問題なのかもしれない。