時代を変えるイノベーターとして活躍する若きリーダーたちは、どう育ち、どんな原体験に支えられているのか。今回は「生まれ育った家庭や環境でその後の人生が左右されない社会の実現」を目指し、東京の下町で学童保育施設を運営する中山勇魚さん。「世界を変えたい」という動機や情熱は、順風満帆のエリートコースからは生まれ得ないとつくづく感じます。(聞き手/「週刊ダイヤモンド」編集長 深澤 献)

夜逃げしていることは
友達には言えなかった

中山勇魚氏写真と経歴Photo by Masato Kato 拡大画像表示

──学童保育施設を運営していますが、そこには子供時代の体験が反映されているのでしょうか。

 そうです。両親は公務員で共働きだったので、小学校3年生まで放課後は学童に通っていました。

──小学生時代は、どんな子供でしたか。

 優等生で、友達も多く、先生にも好かれていた…と思っていたのですが、5年くらい前に小学校3年生のときの連絡帳が出てきて、それを見てみたら「勇魚君はクラスで浮いています」と書かれていて、ショックを受けました。そういえば面談のときに「協調性がない」と言われたのを思い出しましたが、今でも小3のころは先生には好かれていたと思っています。

 ただ、確かに変わっていたかもしれません。学童が終わると、夜7時ごろまで両親の帰りを待ちながら、3歳上の兄や兄の友達と外で遊んでいたのですが、近所の人から警察に「子供が放置されている」と通報されたこともありました。近所ではそういう家庭は珍しかったのでしょう。

 4年生になると、家庭内でトラブルが起きたのですが、学校でも学級崩壊が起こりました。担任が成績の悪い子を面罵し、小突くような先生だったので、生徒みんなが反発し、全員で授業をボイコットしたこともありました。