AI時代は富の
超二極化が起こる?

森岡 ところで、AIが書いた小説ってごらんになったことありますか。

――はい。意外とうまいですよね。

森岡 AIが作った音楽は聞いたことあります?

――ああ、なんかあるかな。

森岡 あれは過去のパターンの集積なんです。でも実はそれでも80点ぐらい採れる可能性がある。小説家も、音楽家も、クリエイターたちって、子どもの時から今まですり込まれたアイデアの断片を頭の中にストックしていて、それらを組み合わせて新しく感じるものを作り出している。本人も自覚していないですけど、実は昔の記憶や過去にやられたことを組み合わせた“フランケンシュタインみたいなもの”であることが多いんですよ。ざっくり言えばAIもその方法で生み出すことができます。

 AIが描いた絵もあるんですよ。あれを偉い人が描いた絵だと言って売り出したら、買う人も出てくるかもわからない。そこまでは来ているんです。でも、本当の隔世的なジャンプを生み出す作品は、やっぱりそういう方法では作れないと思います。それをやるのが人間じゃないですかね。でもそれをやれる人間というのはごく一部なんです。

――そうでしょうね。

森岡 AIが職を奪っていくという大きな方向性は変わらないと思います。でも、AIに奪われるような仕事は、逆にAIにやらせてしまえばいいんじゃないかと思いますね。止めても止められないし、むしろ人間の心持ちの問題じゃないですか。昔、食洗機なんて、なんて悪いことだっていう主婦もいたと思うんですよ。皿を洗うことが主婦の愛情の表現みたいに思っていた人は、食洗機なんて邪道だと思ったかもしれない。でも今、喜んで食洗機にみんな突っ込んでる。だから、いろんな領域でAIが速く文句も言わず仕事ができるんだったら、AIを働かせればいいんですよ。空いた時間でむしろ消費するほうに人間の役割が向けられる時代が来るかもわからないですね。ベーシックインカムになって、AIが生み出した富を吸い上げて、再配分をして、人間は週に2日だけ働けばいいということになったりするかもしれない。その代り週に4日間は消費することを義務づけられたり。そんな時代が来るかもわからない。どこかのSF小説みたいですけど。

――なるほどね。

森岡 遊ぶことに人間がやりがいを感じるみたいな時代になったら、働き者の蟻タイプよりも、遊び人のキリギリスタイプの人数の方が多くなるかもわからないですね。でも、世の中の構造を変えたい、自分が生まれてきた意味を社会との接点のなかで感じたいという人間の欲求はあると思うんですよ。その欲求の行き場を、どこかに人間は作ると思うんです。だからやっぱり競争は起こるだろうし、その結果として富の配分が偏っていくことになる。もっと残酷な世界になるんじゃないかな。最低限のベーシックインカムの人と、選ばれた超絶な金持ちの世界。あまりこれを書くと、みんな絶望しちゃうかもしれないけど、超二極化するかもしれないですね。

――AIを持てる人と持てない人との差みたいなのが出てきますよね。

森岡 ですよね。Bクラス、Cクラスの人間と、Aクラス、Sクラスの人間に分かれることになるかもしれない。

――そうですね。

森岡 実はその二極化はAI時代だけの話ではないんです。元々は同じポテンシャルの人でも、自分の特徴を知って意図的に磨いた人は、そうでない人とはもう勝負にならないくらいキャリアで有利です。だって、こっちは意図的に磨いた宝石、向こうは天然の原石のままですから、輝きの差は歴然です。そういうことに気づいて磨いた人がAクラス、Sクラスの人間になっていくと思うんですね。自分の特徴に気づいていない人に対して圧倒的に勝てるわけです。分かれ道はどこかというと、己の特徴、世の中に対して自分がレアになれる価値、持って生まれたもの、後天的に育てたもの、といった自分の宝物に、どれだけ早く気づくかということじゃないかな。それに気づくための具体的なノウハウをこの本『苦しかったときの話をしようか ビジネスマンの父が我が子のために書きためた「働くことの本質」』に込めたわけですよ。他人のことを分析するのは割にできるのですが、自分自身の宝物を知ることは簡単ではありません。私もそうでした。悪戦苦闘しながら体系化したノウハウが一人でも多くの方の助けになれば嬉しいです。