必要に迫られて学生時代に会社をつくる

 何もかもが派手だった当時は、パーティー当日、大学1、2年生を中心とする学生を数千人、集めることができました。ディスコのパーティーに参加するような大学生なので、比較的派手と言うか、流行を引っ張っていくような、20歳前後の人が、ぎゅっと集まるイベントでした。

 だから、このパーティーにはスポンサーがつき、パーティーが大規模化するにしたがい、遊びが仕事化し、サークルが企業化していったのです。

 そのときどきで、スポンサー企業は異なりましたが、多かったのは、タバコやお酒の会社、旅行や化粧品の会社などでした。こちらでパーティー参加者に配布するパンフレットを作り、そこにスポンサー企業の広告を載せたり、会場で商品のサンプルを配ったりしました。

 それだけのことをすると、遊びにもかかわらず、大きなお金が動き、十分な利益も出ました。だから、会社という形態が必要だったのです。まさにバブルで、他にも、派手なイベントをいくつも手がけました。

 たとえば、旅行企画。夏なら沖縄旅行、冬ならスキーツアーなどのイベントを行いました。大手GMSを経営する企業がスポンサーについたスキーツアーでは、とあるスキーリゾートのホテルを二館貸し切って、バス20台をチャーター、700人の学生を動員したことがありました。

 あるいは、販促企画。当時、販売開始となった今も売れているとある機能性飲料を、日本中の大学生に、数十万本という単位で配布させてもらいました。

 他にも、調査企画などもやりました。振袖に関するアンケートを成人式前の19歳、20歳の女性限定で行いました。

 これらはすべて、新歓パーティーからの「派生ビジネス」で、新歓パーティーで作った人脈に、何を流していくのか、というビジネスモデルでした。