日本人は「満足の閾値」が
ムダに上がってしまっている
それを裏付けるような、こんなデータもあります。「年収や資産が少なくても、自分の収入と支出を自分で決めてコントロールし、『何か欲しいものがあったら買えるし、やりたいことがあったらできる』と感じている人は、幸福度が高い」(『幸福の習慣』トム・ラス、ジム・ハーター著 森川里美訳/ディスカヴァー・トゥエンティワン)。
収入や資産が多いかどうか、実際に欲しいものがたくさん買えるかどうかが重要なのではありません。収入と支出のコントロールができていればいい、欲しいものが買えるし、やりたいことがあったらできると「思っていることが重要」なのです。
作家・翻訳家をしながら仲間と小さな出版社を起ち上げたテーム・マンニネンさんがこう話してくれました。
「自分が必要としている金額ってすごい限られていると思うんです。今の収入がたとえ10倍になっても、それ以上のものをあんまり欲しいとも思っていないので」
テーム・マンニネンさん/フィンランド/作家・翻訳家
北欧の人たちは、欲しいものもそれほどたくさんないし、旅が好きとはいっても、山へ行って自然に触れるとか、サマーハウスに行って何もない中で生活するといったように、それほどお金のかかることではありません。
「フィンランドでは、そんなに格差はないんですね。どこかの国で見られるような上流階級みたいな人たちっていうのは、ここにはいないので。お金を持っている人はいるんでしょうけど、お金持ちがお金持ちに見えないんです」
アルト・トゥルネンさん/フィンランド/「ノキア」勤務
その「満足のレベル」がどこにあるのかというのは国や世代、そして個人個人でも違うと思います。ただ、確実に言えるのは、日本のバブル時代を生きてきた人たちはこのレベル、いわば「幸せの閾値(いきち)」がムダに上がってしまっているということです。
インタビュー中に、私が「デンマークは幸福度ランキングで世界一ですね」と尋ねたときのことです。すると、たしかに幸せだと認めつつ、こんな話をしてくれた方がいました。
「父がよく言っていました。『必ず的というのは低く見ろ』と。そうすればがっかりしないでしょう」
フレデリック・ディットレーヴ・オッテトロエルさん/デンマーク/製薬会社勤務