そして、「好意」が他人の目にさらされることがこの喜びを増幅する。もしもFacebookが1対1の「好意」の交換の場所だったとすれば、これほどまで多くのユーザーを獲得することはできなかったはずだ。

 たとえば、小学生の時に大勢のクラスメイトの前で先生から褒められた時や、同僚が周囲にいる職場で上司に仕事を認められた時のことを思い出してもらえれば、その喜びがどんなものかは容易に想像できるだろう。他人から認められたいという人間の承認欲求は、「人前」であることでより強く満たされる側面があるのだ。

 だが、実際の生活の中では、大勢の前で承認されるような場面はそうは多くない。そこにソーシャルメディアが現れた。たとえばFacebookの中であれば、ちょっとした投稿に対して「好意」が寄せられ、そのことを大勢の人に見てもらうことができる。

 こうして40億もの「いいね!」が、今日も世界を飛び交っている。

「Facebook用の自分」で就職活動の勝利を目指す大学生

「僕はFacebook用の仮面をかぶってます」

 自嘲気味にこう語ってくれたのは、ある東京の有名大学に通う学生だ。彼は、応募している企業がFacebookをチェックする可能性があることを、むしろ巧みに利用しているという。

 確かに最近、企業の人事担当者が応募者のFacebookをチェックすることがあるという話をよく聞くようになった。

 欧米などでは、応募者のFacebookをチェックすることは当たり前となっているし、インターネット上の行動をモニタリングする専門会社まで存在する。日本でもついに、といったところだが、その動きを敏感に察知しているのは彼のような当事者となる学生の方なのだろう

 詳しく話を聞いてみると、そのような噂が広まった時には、「ちょっとうっとうしいと思った」ようだが、すぐに「むしろ使える」という考えに切り替わったとのこと。

 おもしろかったのは、一生懸命勉強をし、サークル活動にも勤しむ自分を、意識的に演出していることを誇らしげに語ってくれたことだ。お酒を飲んでバカ騒ぎをしているところなどは一切投稿せず、友達とのくだけたやり取りも極力避けているという。というのも、「生活態度やコミュニケーション能力などに疑問をもたれないよう、注意している」から。

 面接でも、Facebookの中の自分を演じるように努めているのだろう。

 無論、彼が180度別人を装っているとまでは言わないし、面接でFacebook用の仮面をかぶったまま通しきれるかは別の話だ。だが、「本当とは違う自分」を演じているのだということは、本人も認めるところである。少なくとも、勉強もサークル活動も、さほど熱心ではないのだと白状してくれた。

 彼は、Facebookの中で仮面をかぶった自分もなんとか板についてきたと言い、「Facebook用の自分で就職活動の勝利を目指します」と宣言する。応募企業の人事担当者に、むしろもっと見てくれと言わんばかりだ。

 ちなみに、mixiとTwitterでは実名を出さず、素に近い自分でいるらしい。