ソーシャルメディア・アイデンティティという「仮面」
Facebookの中で仮面をかぶった彼は、ソーシャルメディアの中で「勉強やサークル活動に熱心な大学生」というアイデンティティに作り変えたといえる。
このような現象は、実は彼の例に限らない。ソーシャルメディア上で「新しいアイデンティティ」を獲得している人は、相当数存在する。僕はそれを「ソーシャルメディア・アイデンティティ」と呼んでいる。
ソーシャルメディア上で「好意」を集められるようなアイデンティティ、それが「ソーシャルメディア・アイデンティティ」だ。意図して作っているかどうかはともかく、その原因が「ソーシャルメディア内で他人の目を気にすること」に求められるというのは確かであろう。
他人の目を気にするあまり、「好意」を集められるような自分を演じることは、ある種自然の流れかもしれない。
一方で「ソーシャルメディア・アイデンティティ」は、疲れの源ともなる。先の大学生も、Facebookの中の「ソーシャルメディア・アイデンティティ」を保つこと自体はとても疲れることを認めているし、いつか化けの皮が剥がれるんじゃないかと恐れを抱いているようにも見えた。何より、常に仮面をかぶり続けることなどできないからこそ、mixiやTwitterでは匿名でいるのだろう。
彼に限らず、「ソーシャルメディア・アイデンティティ」を持つ人は、ソーシャルメディアの中で承認されている自分を捨てられないという心理が多かれ少なかれ働いているのではないだろうか。そして、それを維持することは、とても疲れの元になっていそうだ。まるで、「疲労感」と引き換えにして初めて得られるもののようにも映る。