「仮面」を剥ぎ取って楽になるための4箇条

 何もソーシャルメディアの中に限らず、社会生活においては誰もが仮面をかぶって過ごしている。家の自分と会社の自分がまったく同じだという人の方が圧倒的に少数派だ。素の自分をどこでもさらし出せばいいという訳でもない。装いの中でこそ、一定秩序のある社会が保たれる側面もあるだろう。

 それでもソーシャルメディアの中でかぶる仮面がもたらす疲れは、一般の社会生活の中のものとも若干違う

 まず、インターネットの中の情報の宿命でもあるが、言動が情報化され記録として残ってしまう。さらに、ここがソーシャルメディアの威力でもあるのだが、人と人のつながりによって、それが拡散されてしまう。

 加えてFacebookでは、多岐に渡る人間関係がひとつの場所に混在している。つまり友人、知人、家族、恋人、職場、取引先などのつながりがひとつの場所に集まり、そのすべてのレイヤーに自分(投稿)を「さらす」ことになる。とはいえ承認欲求を満たしてくれる(いいね!を押されると嬉しい)から、積極的に参加してみたい場所でもあり、気持ちは複雑だ。

 そのような特殊な場所だからこそ、ソーシャルメディア上で「好意」を集められるような特殊な仮面、すなわち「ソーシャルメディア・アイデンティティ」が必要となるのだ。

 しかしその「ソーシャルメディア・アイデンティティ」という仮面をかぶることで疲れてしまうのだとすれば、まさに本末転倒の事態だといえる。思い切ってその仮面を剥ぎ取ってもいいのではないだろうか。

 そのために必要な心がけを、最後にいくつか挙げてみよう。

① 最低限のマナー・ルール(例えば人に対する誹謗中傷は絶対にしない等)を守ることを除いては、自分が表現したいことを表現する、自分らしい表現をすればいいと、腹をくくってみる。一見精神論のようだが、それを遂行した場合には意外と周囲の反応が温かいことに気づくことができる。ネガティブな言動でない限り、その人らしさというものは、不思議と周囲に好意的に受け入れられることが少なくないものだ。

必要以上に周囲の反応を気にしないこと。人と共有できることの原点的な価値に視点を持ち、多少周囲の反応が芳しくなかったとしても、受け流してしまう。

つながり方をコントロールする。Facebookであれば、つながる人をごく親しい友人だけに絞ったり、グループ機能を活用し、友人、家族、職場など、人間関係を細分化した場で投稿する。

時には休む。ソーシャルメディアへの参加は、そもそも個々人の自由なのだということを忘れてはならない。

「ソーシャルメディア・アイデンティティ」という仮面をかぶることに疲れるくらいなら、いっそのこと、勇気をもって剥ぎ取ってみよう。

 そこから本当の、ソーシャルメディアの価値や楽しみ方が見えてくるはずだ。

 次回は、誰もが情報発信できる時代だからこそ得られる喜びと、その陰に潜む「気疲れ」の正体に迫る。

※本連載は毎週金曜日に連載します。次回掲載は、7月6日の予定です。