「つながるのって結構疲れるんだな」
TwitterやFacebookでのコミュニケーションを楽しみながらも、時にそれらを重荷にも感じてしまうことはありませんか――。
そんな問いかけから始まり、「つながり疲れ」の本質と処方箋に迫る本連載。第2回は、Facebook上で「好意」を集められるような「仮面」をかぶってしまった就活生のエピソードから、「ソーシャルメディア・アイデンティティ」という問題を読み解く。
1日に40億もの好意――いいね!――が飛び交う世界で、振り回されずに生きるにはどうすればいいのだろうか。
「味」じゃないモノサシで評価された料理
「男の料理教室」に通い始めた知人がいる。
あるとき彼は、そこで覚えた料理を自宅で作り、iPhoneで写真を撮ってFacebookに投稿してみた。2時間くらい経った頃になにげなくFacebookを覗いてみたところ、30人以上の「いいね!」が押され、「お上手!」「美味しそう!」といったコメントも10件ほど寄せられた。
正直、まだまだ初心者で、他人に振る舞うほどのレベルではないと自認している。だが、Facebookの中では、味ではなく料理を作るようになったという試み自体が賞賛され、最終的には80人ほどの「いいね!」と20件ほどのコメントが集まった。当の本人はそのことを、「たいした腕前でもないのに、一流の料理人にでもなったかのような感じだよ」と謙遜していたが、とても嬉しそうに語っていた。
これがきっかけとなったのだろう、料理教室通いとFacebookへの料理の写真投稿は、以前にも増して熱心だ。
40億もの「好意」がさらされる世界で
自分(の投稿)に対する「好意」の集積が「他人の目にさらされる」という喜び。前回の記事で「薬効」としてとりあげたこのポイントこそが、料理の共有にハマった彼のように、ユーザーが自分から積極的に投稿しようとする最大の理由だろう。
今日のFacebook上では、投稿や「いいね!(Likeボタン)」を押して人に共有するという行為が、1日で40億件ほどなされているという。その共有行為に対する金銭的な報酬などない。報酬なき自発的行為を支えているのは、まさに「好意」の共有がもたらす快感に他ならない。誰だって、自分に「好意」を示されることは嬉しいはずだ。
Facebookは歴史上で最も「好意」のやり取りを簡便にしたと言っても過言ではなく、その喜びを世界中の人々が享受している。Facebookが世界中で多くのユーザーを獲得し、中国の総人口約13億人、インドの総人口約12億人に次ぐ巨大国家レベルのユーザー規模を持つまでに至ったことは、その喜びに人々がいかに酔いしれているかを象徴的に表している。