何があっても、「個人の自由」を奪うことは許さない
「たとえば、仮に、あるひとりの人間が世界中の富を独占しているとして、その人からたくさん税金をとり配って回れば、多くの人が救われ幸福になることがわかっていたとしても……、人の財産を強制的に奪うというのは、『人間が自分のモノを自由にできる権利』の侵害にあたる、すなわち強盗行為なのだから、自由主義ではまったく許容できない政策として反対する」
「それにより、どれだけ多くの人が生活に困って死のうともだ。つまり、たとえ幸福度が増大したり多くの人の命が救われるからといって、『他人の権利を侵害してよいということにはならない』というのが自由主義のスタンスであると言える」
なるほどね。こうやって話を聞くと、自由主義は、功利主義と相容れないというか、まったく真逆な主義であることがよくわかる。
功利主義と自由主義。幸福を重視する功利主義は、みんなを幸福にするためには、個人の自由を蔑ろにしてでも物事を強制することも辞さない。だから、飢えた人のために満腹の人からおにぎりを取り上げることも問題ないとする。
一方、自由を重視する自由主義は、誰がどう不幸になろうと個人の自由を奪うことを許さない。だから、たとえ飢えてみんなが死のうと個人のおにぎりを勝手に奪って配ることは泥棒行為だとして問題視する。つまり、
功利主義 → 全体の幸せを重視 → 個人に強制する
自由主義 → 個人の権利を重視 → 個人に強制しない
という構図であり、「強制するかしないか」という分岐点で、それぞれの主義がはっきりと特徴づけられているというわけか。
次回に続く