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「合併したら会社を辞める」宣言から十余年
飛島が買い手側に回った
「合併になったら会社を辞める」。バブルが崩壊して建設業界が不況に陥っていた当時、中堅ゼネコンである飛島建設の一社員だった乘京正弘は、周囲に宛てた年賀状にそんな一文をしたためた。
2000年代前半、同社同様に経営危機に陥って金融支援を受けていた熊谷組と合併する話が浮上していた。乘京は技術者としてダム建設工事に携わっていた。「飛島を選んで入社した」という気持ちが強く、看板を変えて仕事をすることは受け入れられなかった。
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その後、候補となった2社は合併することもなくゾンビのような状態から、この数年の業界の好況を経て復活した。
飛島建設の社長になった乘京は近年、買収を重ねている。買収先が後継者難だったケースが多く、自社の補完性が高かった。身売りや再編のターゲットにされた側が、今度はM&A(企業の合併・買収)で買い手側に回ったのである。
準大手や中堅ゼネコンにとって、平成の時代は激動の30年間だった。初期は日本経済のバブル景気に乗って本業の建設以外の事業を膨らませた。バブルがはじけた後、気付けば多額の負債を抱えていた。そこからは経営破綻が多発した。
01年に青木建設が民事再生法を、翌年にはトンネル工事の名門である佐藤工業(東京都)が会社更生法の適用を申請した。このほか法的整理に至らなくても、長谷工コーポレーションや熊谷組、西松建設、飛島建設などが銀行や他社から金融支援を受けた。