AIは人を超えるのか?

 私たちの生活のなかに、すでにAIは溶け込んでいます。たとえば、グーグルアシスタントやアップルのSiri、アマゾンのアレクサは人工知能ですし、テレビや掃除機などの家電にもAIが搭載されています。自動車業界もAIモデルの開発を進めており、自動運転は技術的にすでに可能になっています。

 これは世界的な動きですが、そのなかで日本人はやや特殊といわれています。それは、「ヒューマノイド」といわれる人間と同じ姿形をしたAI搭載の人型ロボットを好む点です。

 たとえば、大阪大学の石黒浩教授はタレントのマツコデラックスにそっくりな「マツコロイド」や自身に似せたヒューマノイドを製作しています。私も日本科学未来館でヒューマノイドを見て、「限りなく人に近づける」という、そのこだわりように驚嘆しました。

 日本人が抵抗なく人間と同じものをつくるのは鉄腕アトムの影響もあるかもしれませんが、仏教・神道の影響が非常に大きいと私は考えています。

 ユダヤ・キリスト教の価値観で言うと、人間と機械はまったく違うもの。この世に存在する動植物も人も神のつくったものですが、なかでも人間は特別な存在です。動植物を含めた自然や機械は人間が支配する対象であり、「支配すべき存在を、神がつくりたもうた人間に似せるなんてとんでもない!」となり得るのです。

 ゆえにヒューマノイドは、ユダヤ・キリスト教文化から見るといささか気持ちが悪く、抵抗感が強いこともあります。だから創作の世界で人型ロボットをつくるときも、欧米ではサイボーグという金属的な造形のものが比較的多いのでしょう。

 そういえばAI機能に特化しているグーグルホームやアレクサは「機械そのもの」という非常にシンプルな形をしています。仮に日本の会社で日本人が開発したら、かわいらしい人間型であったかもしれません。

 AIについてはしばしば「神の領域に到達するのか」という議論があります。人間の能力を超え、多くの仕事はAIが担うようになると盛んにいわれていますし、優れた頭脳を持つ囲碁や将棋のプロが、AIに敗北した例もあります。

 私の個人的な意見を言えば、「AIが神の領域に到達する」というのは、失礼ながら科学信奉者の思い上がりではないでしょうか。

 確かに、データ分析やそれにもとづく一定の判断という面では、AIは人間の脳を凌駕するかもしれません。しかし、人間の心や感情まで科学の力でつくり出せるかと言えば、甚だ疑問です。

 科学の専門家ほど、「科学は神を超える」というのは言いすぎだとわかっているのではないでしょうか。人工知能をつくり出せるだけで「神」としてしまうのは、あまりにも神の力、言葉を変えれば人智を超えた力を矮小化しています。

 イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』(河出書房新社)は、これからの社会はヒトより優れたアルゴリズムによる「データ至上主義」に支配され、それを生み出せるものは「超人=ホモ・デウス」になると予言しています。

 ホモ・デウスを神と同一視しないまでも、このようなデータ至上主義の時代には、これまでの人間の存在範囲、能力範囲を超える情報があふれることになり、そこで判断を誤らないようにするのは、容易ではありません。

 人間のキャパシティを超えるデータの中で生きていくのであれば、宗教を含めた「人智を超えた存在」への理解が再評価されるべきだと私は考えています。