私個人と香港とのつながりは、1995年から始まった。当時、2年後に迫る香港返還を意識して、毎月のように香港を取材していた。「買い物天国」「グルメの都」と称された香港の賑わいと活気が非常に印象的だった。

 私の取材対象は、中国本土系のキーパーソンだけではなく、台湾系の有力者、民主系の議員、財閥のトップ、企業経営者から、牧師、学者、政治家、学校経営者、メディア関係者、さらに香港に移住した中国本土の出身者、水商売の女性、香港へ密航して出産し、生まれてくる子どもに香港ビザを持たせようとしている中国本土出身の妊婦、黒社会の幹部まで、多岐に渡っていた。香港住民の「心」をできるだけ正確に把握しようと思ったためだ。

 特に国民党の「青天白日旗」がいたるところで掲揚されていた調景嶺を訪れたとき、香港という町の特殊さをいやというほど体感できた。中国本土で共産党との闘いに負けた国民党兵たちが、台湾に逃げていく機会を失い、緊急避難的に香港に逃げ込み、やがてそのまま調景嶺を中心に定住し、香港の住民と化した。その調景嶺で元国民党兵などを数人、取材した。みんな私を快く受け入れ、率直な心情を教えてくれた。

「香港沈没」を以前から
予想していた筆者

 こうしたさまざまな生活環境で生きる人々への取材を通して、私なりに返還後の香港の将来像を描いてみた。

 1997年、香港返還の直前まで、鳥越俊太郎氏がキャスターを務めるテレビ朝日系の報道番組『ザ・スクープ』の香港特集の取材に協力した。香港返還をテーマとした番組だったが、取材先は蘇州と広州だけだった。その取材先の選択を通して、返還後の香港の将来像に対する私の予言を番組に託したつもりだった。つまり、返還により中国経済に対して香港が持っていた重みはやがてなくなること、そして中国経済を見たいなら、香港ではなく蘇州と広州を見るべきだということを、私は言いたかったのである。