ドストエフスキーの思想とは?

「彼は、有名なロシアの文豪で、代表作『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』など、人類の普遍的なテーマを扱った小説をいくつも書き上げた大作家だが、彼は作品の中で次のような台詞を登場人物にたびたび言わせている」

『もし神が人類の人工的な観念にすぎないとしたら、人間は神なしに、どうして善行などできるだろうか?』

「これは、ドストエフスキー作品全体のテーマに関わる重要な台詞であるが、ようするに、善や正義を行うためには、必ず『神』という、理屈を超越したものの存在を前提にしなければならないのだということ。だって考えてもみてほしい」

 そう言って、先生は振り返り、黒板にたくさんの丸を適当に書き連ねた。

「仮に、神など物質を超越したものが存在せず、本当に、ただ物質しかないとするなら……、宇宙は、原子、つまり大量のボールが物理法則通りに転がってるだけの空間ということになる。いわば、巨大なビリヤード台だ」

「すると、その大量のボールは永遠の時間の中で、無限に転がり続け、くっついたり離れたり、時には人の形をして生物的な動きを見せたりすることもあるわけだが……、もし、そうしたボールの運動が我々人間の活動のすべてなのだとしたら……、果たしてそこに『意味』というものは生じるのであろうか? 『善』というものは存在するのであろうか? 正義くん、どうだろう?」

 もし、宇宙がビリヤード台で、人間が規則通りに動くボールの塊だったとしたら……。

 あれ? ほんとだ? 意味がないぞ。だって、その場合、たとえ人間が人間を殺したとしても、それは単にボール同士がぶつかりあって一方が散らばっただけのこと。そして、ボールはただ規則通りに動いているだけなのだから、選択の自由もないわけで、だとしたら何が起ころうと―たとえそれが殺人でも人助けでも―誰が善いとも悪いとも言えなくなる。

「たしかに善悪がなくなります。いえ、もちろん、ボールの特定の動きに対して、『これを善と呼ぼう』と誰かが決めれば、善はあると言い張れるかもしれませんが……、でもそれだともはや『善』と名づける必要もないし、少なくとも、僕たちが今議論してる『善』とは違うものだと思います」

 ハッと気づいたことをそのまま口に出す。

「そうだ、正義くん。過去の哲学者たち、そして、ドストエフスキーが、人智を超えたものの存在に、なぜそんなにこだわっていたかわかってもらえただろうか。そうした超越的な存在を前提にしない限り、我々が『善悪』について語ることも『生きる意味』を問うことも、そもそもが不可能なことなのだ」

 左隣を見ると、倫理が上機嫌だった。自分が信じる正義の正当性について、目の前で語られているのだから、それはまあそうだろう。しかし―

「だが、哲学の歴史は、ここから一変する。超越的なものを追い求める哲学の伝統は、次に現れる哲学者たちの手によって完全に破壊されることになる。それがキルケゴールやニーチェ、実存主義の哲学者たちだ」

次回に続く