「やらされる野球」から
「自分で判断する野球」へ

「丸刈りから長髪へ」への移行も春先から話題となった。「丸刈り」に世間が違和感を覚えるのは、「監督への絶対服従」もしくは漠然とでも「チームの方針を優先し、個人の感性や自由を捨てる意志の表明」のような空気を感じるからだろう。

 実際、長髪を採用したチームの選手が帽子を取って監督と対話している写真を見ると、人生の先輩である監督と若いながらも意志を持つ高校生が真剣に対話している雰囲気が感じられる。

 一方、丸刈りの選手と監督の写真を見ると、先入観もあるだろうが、どうしても上意下達、監督の指示を受け容れる選手という図式が拭えない。はるか45年前になるが、私自身、高校野球への挑戦を決意し、丸刈りにしたときの気分はそうだった。それに加えて私の場合は、大学医学部進学を期待する母親への中学生なりの「最後通告」の意味も含んでいた。「医者にはならない、それよりもまず高校野球に青春をぶつけたい」。

 やはり、伸ばしていた髪を短くすることには、それなりの意味が含まれる。

 髪形に象徴されるとおり、これまでの高校野球は「従う力を身につける場所」の意味合いが強かった。監督の指示やサインに従い、忠実に役割を果たす選手が評価される。瞬時の判断でサインに背き、自己の感性に従って打つなどの選択は、よほどレベルの高いチームや選手を除いて、高校野球では主流ではなった。

 だが、本来は、レベルの高低にかかわらず、打席や塁上、あるいはマウンドやそれぞれのポジションで感覚を研ぎ澄ませ、感知し、判断し、自らプレーするところに野球の醍醐味がある。監督が随所に介在するのは本来の野球の面白さを制約するし、つまらない。私自身、現役時代、それが一番もどかしかった。

 マウンドから打者の雰囲気を察して投げる。間違って打たれる場合もある。打たれたのは自分の感性の不足、もしくは思ったとおりに投げられなかった力量の不足だ。ところが、そんな自己との対話を踏みにじるように、ただ打たれた結果を監督が怒鳴る。私の好きな野球が、自分の選んだ高校では許されなかった、そんな苦い思いがいまも残っている。

 私も出演したフジテレビ『直撃ライブ!グッディ』に、選手と一緒に生出演してくれた履正社・岡田龍生監督は、打撃練習の合間など、あえて選手をずっと監視せず、彼らが自由に気を抜ける余裕を与える方針だというのは本当か? との質問にこんな風に答えた。

「私も高校時代、やらされる練習でした。ところが、大学、社会人では、監督の指示どおりしかできない選手は通用しない。それでずいぶん苦労しました。だから、自分で判断できる選手を高校時代から育てたいと思っています」