自分の家族を見殺しにするロジック

 理想を頑なに求めるあまり、現実の存在を蔑ろにする宗教の正義の問題点。それを僕は、いま目の前で見せつけられている気がした。しかし、当の倫理は、周囲の反応に動じることもなく、平然と前を見据えて……いや、違う、微かにだが、唇が小刻みに震えていることを、一番近くにいる僕は見逃さなかった。

「では、副会長、トロッコ問題のようなケースについてはどうだろう? ようは、トロッコをそのままにして5人を見殺しにするか、それとも路線を切り替えて無関係のひとりを犠牲にするかという問題だ。キミならどう答えるかな?」

 それは僕も気になっていた。倫理なら、この問題になんと答えるのか。僕の予想では、おそらく「路線を切り替えず、5人を見殺しにする」の方だと思う。なぜなら、「たとえどんな状況であろうとも、人間の命を利用して何かの目的を達成することは絶対にあってはならない」という考え方を倫理はしそうだからだ。

 だが―

「家族……」
「ん?」
 
 僕の予想はまったく外れることになる。
「家族や、恋人や、友達……自分にとって大切な人がいる方はどちらでしょうか?」

 興奮気味に、しかし真っ青な顔で問いかける倫理。先生は質問の意図がつかめず怪訝な顔をする。

「どういうことだろうか? それがこの問題の選択に何か関わるのかな? では、仮にどちらかにキミの家族がいたとしよう。そうすると、キミは家族がいる方を助け、家族がいない方を見殺しにするべきだと言いたいわけなのかな?」

「いいえ、違います! 逆です! 自分の家族がいる方を見殺しにするべきだと思います!」

 え。いや、倫理は何を言ってるんだ?

「なぜなら、自分にとって大切な人間を優先して助けようとする行為は私情だからです。私情は普遍的なものではなく、個人的なものです。そこに万人が目指すべき正義はありません。ですから、もし、一方しか助けられない状況に追い詰められたとしたら、私たちは率先して家族を見捨てて、他人を助けに行くべきであり、万人は、そういう義務を必ず背負うべきだと思うのです!」

 いやいや、それはさすがに正義ではないだろ。でも言いたいことはわかる。
 原理的に言えば、正義とはそういうものなのかもしれない。

 でも、倫理の言っていることは、僕たちからすればただの狂気だ。

「副会長、念を押すが、それは本当に正義なのだろうか?」
「はい」

 正義です。
 そう言おうとしたのだろう。だが、彼女の口からは、正義という単語ではなく、今まで一度も聞いたことのない音が鳴り響いた。

 それはちょうど、僕たちと善悪がまったく共有できない、姿形もかけ離れた宇宙人がいたとして、その宇宙人が話す言語のような音。意味不明な不快音―僕は、それが彼女が吐しゃ物を吐き出す音だと気がつくまでにしばらく時間がかかった。

 教室中が騒然となった。

 彼女から等間隔に連続して発せられる異音。そして異臭。うしろで半分寝ながら授業を聞いていた生徒たちも状況に気づき、いつも澄まし顔の副会長の失態を見ようと、わらわらと集を見殺しにするか、それとも路線を切り替えて無関係のひとりを犠牲にすまってくる。

「倫理、大丈夫か?」

 僕は、周囲から見えないように壁になりながら、背中をさすり問いかける。
 だが倫理は答えず、涙を流しながら嗚咽を繰り返していた。

(『正義の教室』第7章 宗教の正義「直観主義」より抜粋)