患医ねっと代表。ペイシェントサロン協会会長。精巣腫瘍患者友の会副代表
1969年、神奈川県生まれ。先天性の疾患「二分脊椎症」による身体障がい者2級。20歳にて精巣がんを発症、24歳にて再発、転移を経験。46歳にて甲状腺がんを発症、加療中。工学院大学工学部電子工学科を卒業後、第一製薬(現・第一三共)の研究所に入社。13年間にわたり製薬、製剤に関する 研究所に勤め、2007年退職。2011年より患医ねっとを立ち上げ、患者・身体障がい者の立場から、よりよい医療環境の実現を達成するために全国各地で講演や研修活動を行っている。2011~2016年には朝日新聞デジタルに「のぶさんの患者道場」を300回以上連載し、患者ならず医療者からも高い評価を得た。北里大学薬学部、上智大学助産学専攻科非常勤講師、日本医科大学倫理委員会外部委員、公益財団法人正力厚生会専門委員。著書に『医者・病院・薬局 失敗しない選び方・考え方 病気でも「健康」に生きるために』(さくら舎)がある。
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後閑:今年の1月に本を出版されましたよね。
鈴木:「病気でも『健康』に生きる」というのがテーマですが、それではわかりづらいので、それは副題にして、本のタイトルは『医者・病院・薬局 失敗しない選び方・考え方』としました。
後閑:のぶさんの本を読んで、冒頭での「健康」のお話は講演でも聞いたことがありましたが、ハッとさせられました。のぶさんの本『医者・病院・薬局 失敗しない選び方・考え方』の20ページにも書いてありましたね。
「『健康』といえば、まず身体的なものを思い浮かべることが多いのではないだろうか。しかし、ただ表面上病気でなければいいというものではない。肉体的にも精神的にも、さらには社会的に見ても、すべてが良好な状態でなければ、健康とは言わない」
鈴木:「健康」というのは、病気がないことではないと思うんです。
私は生まれつき二分脊椎という病気を持つ障がい者ですが、健康ではないかと言ったら、そんなことはありません。ましてや今はステージ4のがん患者でもあります。でも私は「健康」だと思っています。
確かに肉体的な面だけなら健康ではないかもしれません。けれど、精神的にも社会的にも充実していると思っていますから。
後閑:のぶさんにとっての「健康」とは、具体的にいうと何でしょう?
鈴木:私の言う健康とは、「生きる目標があり、それに向けて自らの意思で行動できること」です。
私には、日本の医療を取り巻く環境や習慣を変えたいという強い思いがあり、そのためには市民の意識を「主体的に」変えるという目標があります。そのために執筆、講演や研修の講師として各地を回り、日々何をするのかを、私自身の意思によって決めています。
また、患者と医療者だけではなく、いろいろな人と人をつなげるのが好きなので、それができなくなったら生きていたいと思わないかもですね。
長生きには興味がないです。「生きていたい」のではなく、「やりたいことをやりたい」だけ。
ただ、健康のイメージは人それぞれです。自分にとっての健康とは何なのかというのをぜひ考えてほしいですね。
後閑:肉体的、精神的、社会的に満たされた「生」が「健康」の概念であると同時に、私は「死」にも肉体的、精神的、社会的側面に加え、文化的な側面があると思っています。
肉体的な死は、生物学的死であり、心肺停止状態になった時。
精神的な死は、喜びや悲しみなどさまざまな感情を感じなくなった時。
社会的な死は、人に忘れられた時。
死してもその人との記憶や出会って受けた影響は、残された者の中で生き続けますから、「肉体的な死」=「社会的な死」ではないですし、発展していく文化に適応できなくなっていくことは文化的な死を意味します。
それが悪いということではなく、肉体的な死が近づいていくにつれて、文化的な死に近づいていくということはごく当たり前のこと。
何が言いたいかと言うと、そうはいっても肉体的な死を避けるがあまり、精神的、社会的、文化的な生をないがしろにしていないか。人によってどこの部分が重要なのかは違うのだから、もっと他の面も気にかけてほしいと思っています。
精神的な健康という面で、のぶさんが講演でお話しされていた「モチベーショングラフ」の話を聞きたいのですが、のぶさんは初めてがんになった時はあまりモチベーションが下がらなかったという話をされていましたよね。
鈴木:まず「モチベーショングラフ」からお話すると、その時、自分のモチベーションはどんなだったかというのをグラフで示します。
一番モチベーションが下がったのは、24歳でがんが再発した時です。
まだ製薬会社に入社して半年ぐらいの時でしたから、仕事も満足にできていたわけではないですし、仕事がどうなるのか、その先の人生どうなるのかと、すごく落ち込みました。
最初のがん、20歳で精巣がんになった時は多少下がりましたが、それほどではありませんでした。むしろそこで抗がん剤を受けたことにより、医療や薬に興味をもち、その後製薬企業に勤めたので人生の転機になったし、あの時がんになってよかったと今では思います。
46歳で甲状腺がんになりましたが、この時もそれほど下がりませんでした。やりたいことがやれている今は、たとえ病気であっても充実しています。
後閑:その瞬間、瞬間を切り取ると、最高だ、最悪だって思う時期もありますが、すべてがその人の人生であって、切り取った一部分だけを生きているわけではないですからね。トータルで考えるという視点も大事だと思います。