人間は災害の恐怖を
いとも簡単に忘れる生き物

 歴史的に津波被害に幾度となく遭遇して多くの死者を出している三陸では、津波が来たらとにかく散り散りバラバラで一目散に高いところへ逃げろ、という、いわゆる「津波てんでんこ」という先人の教訓があったことは有名な話だ。

 また、明治や昭和初期などに甚大な被害を受けた地域には、ここまで津波がやってきたという言い伝えや、「碑」が建てられており、東日本大震災でもほぼその通りの被害になっていたというのは有名な話だ。

 が、残念ながら、これらの「先人からの警告」が、あの震災で生かされたのかというと、なかなかそうとは言い難い部分がある。

 これは地震や津波だけではない。例えば、昨年の西日本豪雨で大きな被害を受けた岡山県倉敷市真備町も、歴史を振り返れば繰り返し、同じような悲劇に見舞われているエリアだ。

「真備町史」によれば、明治26年(1893年)の台風水害で川が決壊。2つの川が合流する地点にある384世帯の大半が被災して、約180人が犠牲になったという。明治13年(1880年)にも川の堤防を水が越えて、民家28軒が流され、同地区にある大日庵という仏堂の横には、33人の溺死者を供養する石碑が建っている。

 しかし、昨年この地で被害に遭った多くの住民に、そんな古いことまで知っている人は少ない。ここは1972年と76年にも大きな水害に襲われているのだが、その後にできた住宅地に引っ越してきた「新住民」も多いからだ。

 このように「土地の因縁を知らない」ことが被害拡大を招いたケースは、枚挙にいとまがない。誤解を恐れずに言えば、われわれは「被災する」→「被災者が後世の人々にこの危険を忘れるなと警告する」→「時間が経って忘れる」、そしてまた「被災する」に戻るというサイクルを、エンドレスリピートしてきた民族なのだ。