報復が汝の身に至る
静岡市清水区にある曹洞宗鳳林寺の掲示板です。この言葉は朝日新聞2019年9月15日朝刊の「天声人語」に掲載されていたそうです。
相手に非があり、自分が正しいと思っているときには自然と声が大きくなりがちです。しかし、感情のおもむくままに声高に自分自身の正しさを主張することは相手の神経を逆なですることにつながります。また、上から目線で相手を罵倒するような言葉を使ってしまうと、相手を説得するどころか相手は憎しみを募らせるようになります。
法句経に以下の文言があります。
荒々しいことばを言うな。言われた人々は汝に言い返すであろう。怒りを含んだことばは苦痛である。報復が汝の身に至るであろう。
法句経133(中村元訳『ブッダの真理のことば・感興のことば』岩波文庫)
政治の世界などでも見られることですが、自分が正しいと主張する際に、相手に対して大きな声や荒々しい言葉を使うと、それらの言葉がいずれブーメランのように自分自身のところに返ってくることがあります。
正義の代弁者のように大声で主張することは、一時的に気持ち良いことかもしれません。しかし、それは村上春樹さんの表現を借りると「安酒の酔い」のようなものであり、後で代償を支払うことになるものです。
結局、大切なことはそういった状況の中での適切な言葉の使い方や振る舞い方にあります。いくら相手を責められる立場にあるからといって、何をしても良いというわけでは決してありません。相手や周囲の人々はあなたがどのような発言をしたかを後々までも覚えています。そのときの言葉がひどければひどいほど、その後の代償は大きなものになります。
『仏説無量寿経』の中に「和顔愛語(わげんあいご)先意承問(せんいしょうもん)」という言葉があります。まず相手の立場や思いに立ち、穏やかな顔で温かい言葉を発することによって、相手も良い気持ちになり、後の無益なトラブルを避けることにつながっていきます。これは一方的に自分自身の正義を叫ぶ態度とは大きく異なるものです。
また、今回は曹洞宗のお寺の掲示板ですが、曹洞宗の道元禅師は『正法眼蔵』の中で以下のような言葉を残されています。
向かいて愛語を聞くは面を喜ばしめ、心を楽しくす。向かわずして愛語を聞くは、肝に銘じ魂に命ず。
どんな人でも、面と向かって優しい言葉をかけられたらうれしくなります。また、人づてでも優しい言葉を聞いたならば、それは心に深く刻まれます。
道元禅師は「愛語」の重要性を強く認識されていたようで、『正法眼蔵』の中には、「愛語よく回天の力あることを学すべきなり」という言葉もでてきます。これはつまり、「優しい言葉が世界を一変させる力を持っているということ学びなさい」ということです。
相手を思いやる「優しい言葉を発すること」がやはり仏教の基本なんですね。トゲのある言葉を声高に叫んで相手を変えようとするのではなく、優しい言葉で相手を変えたいものです。
「輝け!お寺の掲示板大賞2019」募集を締め切りました。たくさんのご応募ありがとうございました。
なお、当連載をまとめた書籍『お寺の掲示板』が9月26日に発売され、さっそく増刷となりました。お手に取ってご覧いただければ幸いです。
11月13日(水)のNHK総合「あさイチ」で「お寺の掲示板大賞」の特集を行う予定です。もしよろしければご覧ください。
(解説/浄土真宗本願寺派僧侶 江田智昭)