ポケットサイズのAI通訳機「ポケトーク」をご覧になったことがあるでしょうか。本日12月6日、新型の「ポケトークS」が発売されます。端末に向かって日本語で話すと、それが瞬時に外国語に通訳されて音声で流れると同時に、テキストで表示されるという優れもの。その音声を相手に聞かせたり、画面上のテキストを見せたりするだけ。入力する言語も出力する言語も、74言語中なら自由に設定できます。しかも、この新型ポケトークにはカメラが搭載され、メニューや看板をカメラで撮影すると翻訳してくれる新機能まで搭載されています。このポケトークの開発がどのように始まったのか、開発・販売元であるソースネクストの松田憲幸社長の問題意識や実は18年前に立ち上げていた通訳機プロジェクトなどについて聞いていきます。

ドラえもんの「ほんやくコンニャク」を具現化したAI通訳機「ポケトーク」。その開発プロジェクトは18年前にスタートしていた12/6発売となる新型のAI通訳機「ポケトークS」

 かつて、人気漫画「ドラえもん」に「ほんやくコンニャク」というひみつ道具が出てきましたが、AI通訳機「ポケトーク」はまさにそれを具現化したようなものです。これさえあれば、海外旅行先で不自由しません。日本にやって来た外国人ともコミュニケーションできます。

 実は、こういう「手のひらサイズの翻訳機を作りたい」という思いを、私は18年前から持っていたのです。実際にチームも作り、「バベルの塔プロジェクト」を立ち上げました。それは、ソースネクストを創業してまだ6年目、2001年のことです。

 「バベルの塔」は、旧約聖書「創世記」に出てきます。もともと世界中は同じ言葉を使って同じように話していたところ、天にも届く塔を建てようとしたことに神が怒り、人々の言葉を混乱させ通じないようにした、というエピソードであり、人々の傲慢に対する戒めや、実現不可能な計画を意味します。まさに日本人の英語コンプレックスをなくす製品であったのと同時に、明らかにとんでもないレベルのことをやってのけなければ実現できないプロジェクトだったため、そう命名したのでした。

 プロジェクト立ち上げ当初は、社員から反対もされました。ありえない!と思ったためでしょう。
実際、立ち上げから製品発売まで、実に足掛け16年を要しました。たしかに、当時は翻訳エンジンをはじめ、あらゆるテクノロジーレベルが低かったので、実現できる状態にありませんでした。ソフトウェアもハードウェアも、ネットワークのスピードも、何もかも追いついていませんでした。

 それでもこのとき「バベルの塔」プロジェクトを立ち上げたのは、私の長年の問題意識に対する解の一つだという信念があったからです。それは「日本人の英語力不足」です。

 偉そうに英語力不足が日本人の課題だ、などと大上段からいうつもりはありません。
 というのも、私自身が、英語の勉強に苦労してきたからです。英語にコンプレックスがあったからこそ、学生時代には、詐欺まがいの手口で、英語教材を買わされました。でもこのとき英会話学校に通いまくって、まがりなりにも英語が話せるようになったことが、私自身の人生を大きく変えました。英語力がなければ、のちに日本IBMにも入っていなかったと思いますし、今の人生もなかったはずです。
その後、ソースネクストを立ち上げたわけですが、英語の教育ソフトは人気商品の一つでした。日本人にとっての英語勉強熱がとても高いことを再認識させられました。「英語でコミュニケーションできない」ということが、大きなハンディキャップになることに気づいている人は多いのです。

 実際、アメリカ人からすれば、英語ができないというだけで、とても残念な人に見られてしまうのが現実です。(ああ、この日本人、英語がわからないんだな)と思ったら、言葉を選びゆっくり話してくれますが、それでもわからない人にはわからない。そうなると、アメリカ人にとっては、“コミュニケーションができない人”というラベルを貼るしかありません。もうまともに話しかけてももらえません。

 私の場合、学生時代の猛勉強のかいあって、入社前には目標にしていたTOEIC870点をクリアし(当時の日本IBMにおける、海外への長期出張対象者の条件でした)、晴れて日本IBMでも海外のプロジェクトに配属され、起業後も海外の会社とやりとりすることができました。
それでも……、です。いまだに、特に仕事以外の会話は、あまり得意ではありません。私自身も、もっともっと英語で自由に話せるようになりたい。これだけ勉強し、実践で使ってきても、ネイティブのようにはとてもなれないのだ、という事実を突きつけられる思いです。

 おそらく私に限らず、多くの日本人が英語に強い苦手意識をお持ちのはずです。平成の30年間にわたり、日本経済がグローバル化の波に翻弄され、「失われた」などと形容される低成長の時代が長く続いてきたのは、英語力不足によるところが大きかったのではないか、と私は思っています。日本人が全員英語を話せたら、ここまで長く経済が落ち込まなかったのではないでしょうか。

 グローバリゼーションが世界で進んでいく中、英語ができなかったために、日本だけが国の中に閉じこもってしまったのです。唯一、幸運だったのは、日本がビザを緩和するなど、わずかながらも国を開放したために、数年前から外国人がたくさん日本にやってくるようになったことです。

 訪れてみると、物価は意外と安いし、食事はおいしいし、安全だし、観光するところはいっぱいあるし……と、あっという間に旅行で人気の国になりました。しかし、そうやって外国人がたくさんやってきて、では日本人の英語力が上がったのかというと、向上しないままです。

 外国人とのコミュニケーションができないというだけで、海外はもちろんのこと、国内でも日本人は大変な売り損じをしていると思います。外国人からすれば、モノを買うときに質問したいのに、英語で尋ねても通じないからです。日本全体が、言葉の壁でものすごく損をしているのです。

 また、語学力不足は、情報収集面でも大きなハンディキャップを生みます。英語ができなければ、英語でしか流通していない情報が手に入らないことになります。情報の欠落で判断が変わってしまうので、この問題は重大です。

 私が思うに、「判断する力」は、人によって大して違いません。同じ条件で何かを決めなければいけないとき、決断力や判断力は、だいたいみな似たり寄ったりです。しかし、そこに大事な情報が欠落していたら、判断を誤ります。

 日本は平成の時代に、英語による情報の欠落によって、たくさんの間違った判断をしてきたのではないでしょうか。そう考えると、恐ろしくなります。

「日本人」であることの二重三重のハンディ

 一方で、日本人が英語を話せない理由もわかります。私も苦労した一人だからです。日本にいれば、日本語を話すのが当たり前であり、英語を話す必要はありません。

 アメリカ国務省が発表する「外国語習得難易度ランキング」によれば、アメリカ人にとって、最も習得が難しい第1位が日本語です。唯一、最高難易度にランクされています。アメリカ人が学習しようとすると、最もたくさん時間を要する言語ということです。

 逆にいえば、日本人にとっても、英語は習得に多くの時間を要する難易度の高い言語だということではないでしょうか。よく知られていますが、ゲルマン語派(英語のほかドイツ語やオランダ語など)に限らず、中国語も英語に語順が近い。中国人にとって、英語をマスターする難易度は、日本人ほど高くない、ということです。しかも、日本人は完璧主義や恥ずかしがりが邪魔をして、少しぐらい間違っていてもどんどん話す積極性や図太さがないため、上達も遅いです。

 さらに、日本はつい最近までは米国に次ぐ世界2位の経済規模を持っていましたから、企業もあえて世界に出ていってチャレンジする必要性が他の国ほどありませんでした。日本国内で、日本語だけで商売をしていても、十分食べていけたのです。ところが、他の国ではそうはいきません。一例が韓国で、国内市場が小さいため、成長を求めるサムスンなどのメーカーも一気にグローバル化しました。日本人も日本企業も、生存の恐怖がないため、危機感も低かったわけです。

 このように英語力の低い構造を踏まえれば、日本人が英語のハードルを越えるには、優れた翻訳機くらい画期的なものがないと無理ではないか、と私は早くから感じていました。日本人が勉強して英語をネイティブ並みに体得するのは、ほぼ不可能だ、と思うようになっていたのです。

 実際、大人になってから英語をマスターしようとすると、どれだけコストがかかるか。私もビジネス英語であれば、ある程度は話せますが、日常的な幅広いテーマとなると英語で使いこなせる表現は限られます。正直、理解できないことも多いです。それなりの根性で一生懸命に勉強して、このレベルです。

 だから、翻訳機だ!と思ったのです。

 かつてタイピングの練習ソフト「特打」を世に出したとき、パソコンでキーボードを打てて当たり前の世の中になるというのに、タイピングに慣れていない日本人は世界に取り残されるのではないか、という危機感を持ったときの思いと似ています。英語に関しては、そのとき以上に大きな危機感を抱いています。(つづく。今すぐ詳しく知りたい方は、ソースネクスト松田憲幸社長の著書『売れる力』をどうぞ!)