ベストセラー『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』の刊行を機に、さまざまな実務家やアカデミアの皆さんを迎え、著者・朝倉祐介さんとの対談をお送りする本コーナー。今回は、明石家さんまさんのテレビCMでもおなじみの高性能な翻訳機「ポケトークW」を開発して大ヒット中のソースネクスト代表取締役社長、松田憲幸さんをお迎えし、ポケトーク成功のカギや社長みずからシリコンバレーに暮らす意味の大きさなどを伺っていきます。(構成:大西洋平、撮影:野中麻実子)
ポケトークは予想以上に法人に人気
朝倉祐介さん(以下、朝倉) 2018年9月に発売された翻訳機の「ポケトークW」、聞き取りの正確さや反応の速さなど、本当に性能が高くて驚きました。従来の翻訳機とは一線を画していますね。
ソースネクスト株式会社代表取締役社長
1965年兵庫県生まれ。大阪府立大学工学部数理工学科を卒業し、同年日本IBMに入社。 1996年8月、ソースネクスト株式会社を創業し、2008年に東証一部上場。業界常識を打破した更新料0円のウイルス対策ソフト「ウイルスセキュリティZERO」をはじめ、累計5000万本以上のソフトウェアを販売。2017年12月には通訳機「POCKETALK(ポケトーク)」を発売し、IoT事業にも参入。現在に至る。
松田憲幸さん(以下、松田) おかげさまで国内はもちろん、10月から発売した米国や欧州でもたくさんの引き合いを頂いています。8月末には、ドイツ・ベルリンで開催された国際コンシューマ・エレクトロニクス展示会「IFA 2018」で突出したデザイン性や技術、ビジョンに対して贈られるイノベーション・アワードのモバイルコンピューティング部門に選出されました。
朝倉 世界的にも評価が高いんですね。現状、国内ですと、購入されるのは個人と法人でどちらが多いのですか?
松田 われわれとしては、まず個人のお客様が念頭にありました。実際、お金も時間も余裕があって、旅行好きで、今さら語学を勉強したくない、という60~70代のお客様を中心に購入いただいています。
ただし、予想していた以上に、法人のお客様が増えています。その背景に、海外から日本にやってくるインバウンドのお客様が毎年400万~500万人ずつ増えていることがあげられます。その対応に追われる空港やタクシー、小売店などには、海外のお客様をおもてなしするために切羽詰ったニーズがあります。ポケトーク1台2万9880円に対して、通訳者を頼めば1ヵ月に百万円単位でかかりますから、費用対効果の大きさは法人のほうがわかりやすい。言語が通じずに機会ロスを起こすよりも、ポケトークで会話してお客様に商品を購入いただくことができれば、元が取れる価格です。個人のお客様が購入されるメリットは「面白い」「楽しい」といった、ややふんわりした印象で、それも大切なことですが、私のような関西人気質でいえば法人向けのメリットはものすごくわかりやすい。
なぜスマホのアプリでなく専用端末にしたのか?
朝倉 松田さんも私も生まれながらの商売人たる関西人ですから、メリットが「儲かる」ことだと非常にわかりやすいですね(笑)。特定の通信キャリアとの契約も必要なく、この1台を買うだけですぐに使えて、しかもソフトも自動更新されるから、お得感は大きいと思います。
松田 ありがとうございます。たとえば商談で次のように使ったとします。(ポケトークに向かって)「いますぐ1億円支払ってくれたら、20%割引します」、(ポケトークから音声)「20% discount would be given if you pay one hundred million yen now.」。
この構文が頭にすぐ浮かぶかというと、案外出てこないと思います。それに、1億を「one hundred million」というのも、慣れていないととっさに出てこないと思います。ポケトークでは、音声だけでなく英語のテキストが端末画面にも表示されるので、実際の交渉では画面を見て自分で話してもいいし、このテキストを相手に見せてもいい。この構文とボキャブラリーがテキストでも見られる機能があることで、個人向けの需要でも「教育端末」として予想以上に伸びています。
シニフィアン株式会社共同代表
兵庫県西宮市出身。競馬騎手養成学校、競走馬の育成業務を経て東京大学法学部を卒業後、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。東京大学在学中に設立したネイキッドテクノロジーに復帰、代表に就任。ミクシィ社への売却に伴い同社に入社後、代表取締役社長兼CEOに就任。業績の回復を機に退任後、スタンフォード大学客員研究員等を経て、政策研究大学院大学客員研究員。ラクスル株式会社社外取締役。株式会社セプテーニ・ホールディングス社外取締役。Tokyo Founders Fundパートナー。2017年、シニフィアン株式会社を設立し現任。
朝倉 英語ひとつとってもアメリカ英語とイギリス英語が含まれていますが、対応言語が74と多いのもすごいですね。中国の地方など、まだまだ現地語しか通じない場所に行ったときにも重宝しそうです。このポケトークは専用端末ですけど、スマートフォンのアプリとして搭載するアイデアはなかったのですか。
松田 まず日本で成功したいと考えていたので、日本の主要な顧客層である60~70代の方々がスマートフォンをお持ちでないことを考えると、アプリという選択肢はありませんでした。また、端末を相手に見せるとき、スマートフォンの画面にメッセージの通知が表示されることもあるので、人に見せることに抵抗を感じる方もいらっしゃると思います。専用端末だからこそ、大きなスピーカーを搭載し、性能の高いマイクもつけられました。
朝倉 たしかに、スマホだとLINEがピコンピコンと出てくるし、他人に見せるのは嫌ですよね。
ポケトークはソースネクストの経営を3つの点で変えた
朝倉 以前、kindleがポケトーク開発のヒントになったという話もされていましたよね。
松田 そうです。私が最も頻繁に聞いている、チャーリー・ローズ氏によるアマゾンCEOのジェフ・ベゾス氏へのインタビュー集があります。1999年から今日に至るまでのすべてのインタビューを聞けるのですが、ベゾス氏が一貫して述べているのは次の3つです。「Customer Obsession(顧客本位)の徹底)、「Long term(長期)での取り組み」、そして「インベンション(発明)を起こす」、と常に言っています。これらを追求して生まれたプロダクトのひとつがキンドルであり、「ポケトークW」を作るうえで大きなヒントとなりました。スマホでもタブレットでもない専用端末として世界的に成功したのは、kindleぐらいだと思います。
朝倉 その国の通信キャリアと契約しなくても、どこでもダウンロードしてサービスを使えて非常に便利ですよね。
松田 プロダクトとしても、読書用機器の役割を徹底して追求したシンプルな仕様です。おそらく、それが生き残る条件であり、ポケトークもソフトではなくデバイスとして成功する商機があると思いました。同じ端末でメールもLINEもできる…となったら、それはスマートフォンになってしまいます。
朝倉 ポケトークは、貴社のビジネスにおいてあらゆる意味でエポックメイキングな商品といえそうですね。
松田 はい。このポケトークによって、弊社のビジネスは3つの意味で変わってきていきます。第一に、ビジネスの軸足をソフトからIoTの世界へ。第二に、マーケットを日本から世界に。そして第三に、お客様をコンシューマー(個人)中心から法人向けにも広げています。
朝倉 それだけ多くの変化が一度に起こると、かなり大変ですね。
松田 はい。しかし、いずれも自然発生的に起こった側面が強いので、大変だという認識はあまりないです。
クラウドソフト「Evernote」をパッケージ化したのは世界初
朝倉 ソースネクストは、もともとソフト販売の「ディストリビューター(卸売・販売代理店)」としてスタートして、いまやポケトークを自社開発・生産・販売する「メーカー」に変貌されています。ここまでの貴社のビジネスの変遷を伺ってもよいでしょうか。
松田 はい。創業当初は資金も潤沢ではないため、製品をつくることに時間をかけず、まず他社の既存製品をローカライズして販売しつつ、販路をしっかり確保できることを念頭に置いてきました。創業2年目の1997年にはタイピング技術習得ソフトの「特打」を自社開発しました。
ソフトウェアを自社開発・販売すれば、開発費等の償却後はほぼ利益になりますので、2006年12月に株式上場を果たした後は、ソフトの自社開発や、ソースコードや商標権の取得に力を入れてきました。ハガキ作成ソフト「筆王」のプログラム著作権および商標権を取得したり、「筆まめ」を子会社化するなど自社開発製品を拡充してきました。
朝倉 特に大きな転換点となったのはいつですか。
松田 2004年~2006年に家電量販店との直接取引ができる体制を作ったことが、会社が大きく成長した転換点だったと思います。この体制ができていなければ、今回の「ポケトーク」のような製品を開発しても、店頭で販売するために流通業者との商談から進めなければならず、なかなか販売を始めることができなかったと思います。
量販店から見ると、ソフトの仕入先としては、ソフトバンク社か弊社しかありません。ソフトバンク社が他社製品の流通に集中しているのに対し、弊社では流通に加え、ものづくり(メーカー)もしている、という違いがあります。量販店と直接取引できる体制を整えたことは、メーカーとしても有利です。
朝倉 メーカーの側面もあるとすると、仕入元と競合して問題になることもあるのでは。
松田 ゼロではありません。しかし、海外メーカーが日本に進出するためにはかなりコストがかかるため、弊社は海外メーカーの日本展開のパートナーと考えていただいています。
たとえば日本に現地法人をつくると、人件費だけでなくオフィスの賃料・保証料も高いですし、海外のように解雇が簡単ではありません。日本人のお客様に販売するにも、まず英語が通じません。今なおソフトも量販店の店頭で買う人が多いという習慣は諸外国とは異なりますから、このマーケティング方法の確立もハードルが高い。製品のパッケージ化、量販店で販売、日本語でアフターサポート、そして、量販店からの返品にも応じるとすると日本に現地法人がなければなりません。
朝倉 2010年に出された「Evernote」のようにクラウド型ソフトを量販店でパッケージとして売っているのを見たら、本国の人たちは驚きませんか。
松田 Evernoteのパッケージ化は、世界初の取り組みと言われました。
日本市場では、量販店の存在感が圧倒的に高いです。何より人口が密集していて、鉄道網が発達しているので、主要駅ごとにある量販店でモノを買う人が多い。しかも、人口構成からして、平均年齢48歳と中高年齢層が多いので、ソフトウェアを買うときは丁寧な説明を受けてから購入できると安心感があると思います。日本の量販店の店員さんは本当に親切ですから。
朝倉 たしかに米国の家電量販店は日本のそれと似て非なるものと言えるぐらい、使われ方やサービス品質が違いますよね。(後編につづく)