「優れている」とはどういうことか?

 ところで【イラスト】の系統樹Aと系統樹Bは、同じ系統関係を表している。しかし、見た目の印象はだいぶ違う。よく目にするのはAのような系統樹だ。これだと、ヒトは進化の最後に現れた種で、一番優れた生物であるかのような印象を受ける。

「トカゲ」は「ヒト」よりも進化している!?イラスト:はしゃ

 しかし陸上生活への適応という意味では、Bのような系統樹の方がわかりやすい。トカゲやニワトリの方がヒトより陸上生活に適応しているからだ。系統樹Bを見ると、ニワトリが進化の最後に現れた種で、一番優れた生物であるかのような印象を受ける。

 もちろん、進化の最後に現れた種は、ヒトでもニワトリでもない。というか、コイもカエルもヒトもイヌもトカゲもニワトリも、すべて今生きている種だ。だから、みんな進化の最後に現れた種ともいえる。コイもカエルもヒトもイヌもトカゲもニワトリも、生命が誕生してからおよそ40億年という同じ長さの時間を進化してきた生物なのだ。

 そして、陸上生活という点から見れば、この系統樹の中で一番優れた種はトカゲとニワトリなのである。

 もしも「走るのが速い」ことを「優れた」というのなら、一番優れた生物はイヌだろう。

 「泳ぐのが速い」のはコイだろうし、「計算が速い」のはヒトだろう。何を「優れた」と考えるかによって、つまり何を「進歩」と考えるかによって、生物の順番は入れ替わるのだ。

 さっきは「陸上生活に適した」ことを「優れた」と考えたが、「水中生活に適した」ことを「優れた」と考えれば、話は逆になる。

 トカゲは、陸上生活に適した特徴が発達したが、それは水中生活に適した特徴が退化したことを意味する(ちなみに「退化」の反対は、「進化」ではなく「発達」である。生物の持つ構造が小さくなったり単純になったりするのが退化で、大きくなったり複雑になったりするのが発達だ。「退化」も「発達」も進化の一種である)。

 「水中生活に適した」ことを「優れた」と考えれば、もちろん一番優れた生物はコイになる。

 いろいろと考えてみると、客観的に優れた生物というものは、いないことがわかる。陸上生活に優れた生物は、水中生活に劣った生物だ。走るのに優れた生物は、力に劣った生物だ。

 チーターのように速く走るためには、ライオンのような力強さは諦めなくてはならないのだ。

 そして、計算が得意な生物は、空腹に弱い生物だ。脳は大量のエネルギーを使う器官である。私たちヒトの脳は体重の2パーセントしかないにもかかわらず、体全体で消費するエネルギーの20~25パーセントも使ってしまう。大きな脳は、どんどんエネルギーを使うので、その分たくさん食べなくてはいけない。

 もしも飢饉(ききん)が起きて農作物が取れなくなり、食べ物がなくなれば、脳が大きい人から死んでいくだろう。だから食糧事情が悪い場合は、脳が小さい方が「優れた」状態なのだ。

 実際、人類の進化を見ると、脳は一直線に大きくなってきたわけではない。ネアンデルタール人は私たちヒトより脳が大きかったけれど、ネアンデルタール人は絶滅し、私たちヒトは生き残った。

 その私たちヒトも、最近1万年ぐらいは脳が小さくなるように進化している。これらの事実が意味することは、脳は大きければ良いわけではないということだ。

 「ある条件で優れている」ということは「別の条件では劣っている」ということだ。したがって、あらゆる条件で優れた生物というものは、理論的にありえない。そして、あらゆる条件で優れた生物がいない以上、進化は進歩とはいえない。

 生物は、そのときどきの環境に適応するように進化するだけなのだ。

(本原稿は『若い読者に贈る美しい生物学講義』からの抜粋です)