毎週金曜日の夜、「原発再稼働反対デモ」が、官邸前を中心に永田町から霞が関一帯を埋めている。市民団体がこの春から始めた行動は徐々に膨れ上がり、最近は2万人規模に達している。しかし、野田佳彦首相は、デモに対して静観の構えを崩そうとしない。「決める政治」を目指し、関西電力大飯原子力発電所3、4号機の再稼働を決断した首相は、「再考する気はない」とし、デモ参加者との直接対話に否定的だ。
野田首相は母校・早稲田大学での講演で、「失敗の最大の要因は自分が諦めるときだ。自分が諦めない限り失敗はない。成功の要諦は成功するまで、続けることにある。粘り強い心を持ちながら1つ1つヤマを乗り越えていきたい」と決意を述べた。だが、「粘り強い心」だけで「決める政治」ができるわけではない。
「政治的」に原発推進を困難にする
「一般国民」の原発不信の高まり
2011年3月の東日本大震災・福島第一原発事故発生後、「原発推進」と「脱原発」は国論を二分して激論が展開されている。筆者は原発推進の是非を「専門的」に論じることはできないが、震災前の日本の電源構成(原子力29%、水力8%、石炭25%、LNG29%、石油等8%、新エネルギー1%)については、バランスが取れていたと評価している。また、日本社会の安定と発展のためには、当面は原発に依存せざるを得ない。だから、安全が確保された原発は再稼働させるべきと考えている。ただ、一方で原発推進は今後「政治的」に困難だとも指摘してきた(第6回を参照のこと)。
一度でも原発で事故が起これば、市民運動などの「反原発運動」が高まることは容易に想像できることだ。市民派弁護士などが起こす原発停止を求める裁判が頻発する。原発再稼働の是非を問う住民投票を求める署名運動が各地で相次いで起こる。国民投票を目指す動きも出てくるだろう。
しかし、これら市民運動としての「反原発運動」は、福島第一原発事故以前からあったことだ。野田政権にとって想定の範囲内だろう。むしろ政権にとって想定外で、より深刻なのは、前述の「原発再稼働反対デモ」に、これまで市民運動と関わりが薄かった一般国民の参加が増えたように、市民運動を超えて、より広範囲に原発不信が広がり、それが原発推進を「政治的」に困難にしていることだ。